同じ目線で




ある日の放課後。
下校する生徒ももう疎らになったこの時間、裕一は学校の校門でぼんやりと空を見上げていた。
目の前には少し傾きかけた太陽が映る。
もう何度となく見ている同じ夕日。
だが裕一はこの時間がとても気に入っていた。
夕日を見ながら愛しい者を待つこの時間が。
そう、裕一は待っているのだ。
一つ年下の恋人、春日珠紀がやってくるのを。
おそらくまた教室でぼんやりとしているのだろう。
彼女はそうやっているのがとても好きだから。
教室の窓から同じ夕日と見ていると思うと、裕一は少し嬉しくなった。

タタタッ

軽い足音が耳に届いた。
しかし、それは学校の方からではない。
裕一が音のした方へ顔を向けると、そこには見慣れた姿があった。

「ゆーいちっ」

トンとぶつかってきたのは小さな男の子。
白い中に淡い水色の混じったふわふわの二つの尻尾。
そしてピンとたった大きな耳がこの子が人間ではないことを現していた。
珠紀が飼っているオサキ狐のおーちゃんだった。

「迎えにきたのか」

裕一は微笑んでおーちゃんの頭を撫でた。
おーちゃんもくすぐったそうに目を細めた。

「あっ」

不意におーちゃんが顔を上げた。
そして何かに向かって一心に走り出す。
その先にいたのは珠紀だった。

「おーちゃん!」

珠紀は走りよってきたおーちゃんを驚きながらも抱きとめる。
おーちゃんもきゅっと珠紀の制服を掴んで抱きしめた。

「おかえりー。たまよりひめー」

「ただいま。迎えに来てくれたの?」

「うんうん♪」

今日は家で留守番しているはずだった。
最近仲良くなり始めたアリアと遊ぶのだという。
一人で来たということはアリアはもう帰ったのだろうか。

「ありがと」

珠紀が言うと、嬉しそうに二つの尻尾が揺れた。
手を繋いで校門へ行くと、そこに裕一の姿があることに珠紀は気付いた。
おーちゃんと一緒に裕一の傍まで駆け寄る。

「裕一先輩!待っていてくれたんですか?」

「ああ」

「ありがとうございます。言ってくれればもっと早くきたのに」

珠紀は申し訳なさそうに呟いた。

「いや、いい。こうやって夕日を見ながらお前を待っている時間は結構好きだ。
珠紀も同じものを見ているだろうかと、そんなことを考えていた」

裕一はすっかり傾いてしまった夕日を見る。
オレンジ色に輝く夕日は彼の白い髪を同じ色に染めていた。
珠紀はそれを眩しそうに見つめて答えた。

「はい。私も教室で同じことを考えていました」

「そうか」

裕一は微笑んだ。

「そろそろ帰ろう。日が沈む」

「はい。帰ろう、おーちゃん」

おーちゃんは空いた手で裕一の手を握った。
おーちゃんを真ん中にして三人は長い影を作って帰路へとついたのだった。





三人で楽しく話しながら帰る道のりは短い。
実際の距離より短く感じてしまう。
気がつけばもう神社の参道の下。
もう裕一と別れなくてはいけない。

「それじゃ、今日はここまでですね」

珠紀は足を止めて裕一を振り返った。
ここで別れるのは裕一一人だけ。
珠紀とおーちゃんは共に家へと帰ることになる。
一人違う家へと帰る裕一。
珠紀と裕一を繋いでいたおーちゃんの手から裕一の手が離れた。

「またね。ゆーいち」

祐一の目に映るのは手を繋いで見送る珠紀とおーちゃんの姿。
そこに自分はいない。

「今日は夕飯を食べていってもいいか?」

気がつくとそう口走っていた。
珠紀は一瞬きょとんとした表情を見せたが、次の瞬間には嬉しそうに微笑んでいた。

「もちろんです。一緒に帰りましょう」

「ゆーいち。いっしょー」

こうして三人は共に宇賀谷家へと帰って行ったのだった。





楽しい夕食も過ぎ、もう夜も更けた。
それなのに祐一は未だ宇賀谷家の居間にいた。
この時間になるとさすがに珠紀も心配になってきた。
実は少し前から気付いていたのだが、祐一の様子がおかしい。
自分とおーちゃんが一緒にいるとどこか寂しそうな表情をするのだ。
態度に変わったところはない。
話しかけたら普通に話してくれるし、じゃれるおーちゃんにもいつものように接している。
だからこそ時折見せるその表情が気になってしまう。
おーちゃんは今珠紀の膝に頭を預けて寝ている。
きっと遊び疲れたのだろう。
聞くには今しかないと、珠紀は思い切って尋ねることにした。

「祐一先輩、どうかしたんですか?」

「何がだ」

「だって、何だか先輩寂しそうです。こんなに近くにいるのに、何だか一人って感じの顔をしています」

まるであの時と同じ。
自分を妖と呼び、人間である珠紀とは違う存在だと言っていたあの頃と。

「私は先輩と同じものが見たいんです。何がそんなに寂しいんですか?」

祐一は目を伏せた。
その視線がおーちゃんで止まり、次に珠紀を見た。

「俺は・・・」

祐一が何か話し出そうとしたとき、寝ていたはずのおーちゃんが動いた。

「ん・・・」

まだ眠いのか、目を擦りながら起き上がる。

「おーちゃん。まだ寝ててもいいよ。布団も敷いてあげるから」

立ち上がろうとする珠紀の袖をおーちゃんは引っ張った。

「たまよりひめ」

そして今度は祐一の袖を引っ張る。

「ゆーいち」

二つの袖を引っ張り、珠紀と祐一の手をちょこんと触れさせる。
そして、満足したようににっこり笑って、

「いっしょ!」

と言ったのだった。
始めは意味が分からなかった珠紀だが、それが「一緒に寝よう」という意味だと分かると、一気に顔を赤くした。

「おーちゃん!ダメだよ。祐一先輩帰らなきゃいけないし。ほら、ね?」

何とか言い聞かそうとするが、おーちゃんはきょとんとしている。

「ありあ、ふぃーあといっしょにねる。だから、ぼくもいっしょにねるのー」

「ああ、もう!」

原因はアリアか。
珠紀は溜息をついた。
アリアとフィーアが一緒に寝るのと、自分たち三人が一緒に寝るのでは訳が違う。
おーちゃんはともかく、自分と祐一が一緒に寝るのは非常にまずい。

「祐一先輩も何とか言ってくださいよ」

珠紀は先輩も同じだろうと思い、そう促した。
しかし、祐一の帰ってきた答えは意外なものだった。

「俺は構わない」

「へ?」

一瞬珠紀の思考回路が停止する。
そして祐一が何を言ったかを理解すると、先ほどよりもっと顔を赤くした。

「な、ななな、何言ってるんですかー!ダメです。そんなの絶対ダメです!」

ブンブンと首を振って抗議する。

「何故だ?今までにも一緒に寝ることも、止まったこともあった。
それに明日は休みだ。学校を気にすることもない。」

「それはそうなんですけど」

(だって、あれは昼間だったし。泊まりにきたっていうのも、ロゴスから守るという守護者の役目だったし。
同じ布団で寝るなんて――――///)

珠紀はパニックに陥った。

「たまよりひめ?」

「珠紀?」

呼ばれて顔を上げてみれば、二人はじっと珠紀を見つめていた。

「いっしょにねるのがいやなのー?」

「共に寝るのがそんなに嫌か?」

二匹のキツネに上目遣いに見つめられ、珠紀はとうとう観念した。

「わかった!わかりましたよ。今日だけだからね」

そういうと珠紀は立ち上がり「お風呂にはいってきます」と言って、その場を去ったのだった。





数十分後、珠紀の部屋には川の字になって寝る三人の姿があった。
いつもはキツネ姿のおーちゃんと寝ている珠紀だが、今日のおーちゃんはずっと人間の姿のままだ。
三人だとさすがに狭いので、布団は二枚横に並べて敷いてある。
祐一と珠紀を両端にして、真ん中におーちゃんが寝ている状態だ。

「こうやって三人で寝ていると、何だか家族みたいですね」

「そうだな」

珠紀は何となく幸せな気持ちだった。
祐一先輩と子供ができたらこんな感じかなっと考えた。
こうして眠りについて数十分が過ぎたが、その中で珠紀は眠れない夜を過ごしていた。
それもそのはず。
おーちゃんがいるとはいえ、好きな人と一緒にいて眠れるはずもない。

(祐一先輩、もう寝ているかな)

おーちゃんは布団に入るなり寝てしまった。

(いつでもどこでも寝れちゃう先輩だもの。私がいたっていつもの代わらないはず)

そう思って珠紀は横を向いておーちゃんと祐一を見た。
同じように祐一も珠紀とおーちゃんの方を向いて横になっている。
瞼をしっかりと閉じ、どうやら起きている様子はない。

(本当に寝てるんだ。もしかして、私って女として見られていないのかも)

ちょっぴり起きていることを期待していた珠紀は、少しだけ残念に感じられた。
そこで珠紀はあることに気がついた。
先ほどまで真ん中で寝ていたはずのおーちゃんがいないのだ。
一瞬慌てた珠紀だが、すぐに自分の中におーちゃんの気配があることに気付いた。
どうやら影の中に戻ったらしい。
ほっとしたのもつかの間、珠紀はまた新たなことに気がついた。
おーちゃんが影に戻った今、布団にいるのは自分と祐一のみである。
そう考えると、珠紀の鼓動は急に早くなった。
しかし、祐一をこんな間近でじっくりと眺められる機械なんてそうそうあるものではない。
この際だ。ゆっくりと祐一を観察してみるのもいいかもしれない。
珠紀はちらりと祐一を見やった。
部屋は電気を消しているため薄暗く、月明かりのみが室内を照らしている。
夕方は夕日の色に染まっていた髪が、今は月の光に照らされて今度は銀色に染められていた。
パジャマの変わりに珠紀が用意した浴衣の衿が、わずかに寝乱れて祐一の白い肌をさらけ出す。
その肌もまた月の光によって、さらに美しく輝いていた。
綺麗だな。と珠紀は思った。
女の私より綺麗だと思う。
すっと伸びた鼻筋に、形のいい唇。切れ長の目に、長い睫毛。
時々自分が本当にこの人と付き合っていてもいいのかと不安になるくらいだ。
珠紀は手を伸ばした。
そっと祐一の頬に手を触れ、細い銀色に輝く髪を梳いた。
皇かな肌と髪は簡単に珠紀の指を通り抜けた。
ふと祐一に瞼が揺れる。
開かれた瞳に驚いて、思わず手を引っ込めようとしたが、その手を祐一の手が掴んだ。

「オサキ狐は影にもどったか」

「ゆ、いち先輩。起きてたんですか」

「ああ、眠れない夜を過ごすというのは初めてだ」

珠紀の胸がドキドキと鼓動を立てる。
今更ながらに自分の行動が恥ずかしくなってきた。

「きっと、お前といるからだろうな」

「せん・・・ぱい?」

祐一は珠紀の目をまっすぐに見つめた。
それだけで珠紀の鼓動はより一層早くなる。

「お前には教えられたことがたくさんある。この胸の鼓動もお前が教えてくれたものだ」

祐一は握っていた珠紀の手を自分の胸へと当てた。
掌から伝わってくる祐一の鼓動は、珠紀と同様に早いものであった。

「私と同じ。すごく早い」

「お前だけだ、俺の心臓を早くできるのは」

「私もです」

しかし、珠紀の答えに祐一は何故か表情を暗くさせた。
先ほども見せた、あの寂しそうな表情だ。

「先輩、何か不安なことがあるんでしょう」

「・・・・」

祐一は答えなかった。
珠紀は粘り強く訴えた。

「私はあなたの考えていることが知りたいんです。
嬉しいことなら一緒に喜びたいし、悲しいならその悲しみを一緒に分かちあいたい。
不安ならそれを拭ってやりたいんです。だから、一人で抱え込もうとしないで」

珠紀の言葉に祐一は口を開いた。

「言ったら俺のことを嫌いになるかもしれない」

「それはありえまえん。知らなかったんですか?私は祐一先輩が大好きなんです」

にっこりと自信満々に言われ、祐一は目を丸くした。
そして、笑った。
どうして、彼女はこうもあっさりと自分の不安を拭い去ってくれるんだろう。
たった一言で、自分は他の誰より幸せな気持ちになる。
今なら、素直に自分の気持ちを言えそうだ。

「俺は、オサキ狐に嫉妬してたんだ」

「おーちゃんにですか!」

今度は珠紀が目を丸くした。

「ああ。お前に素直に抱きつけるところや、共に家で過ごしていることとか。羨ましいと感じていたんだ」

ほんの些細なことだけれど、自分にできないことを彼ができるのを見ていると少しだけ嫌な気持ちになった。
それでおーちゃんと珠紀が一緒にいるのを見たとき、寂しそうな顔をしたのだ。
そしていつもより強引に事を進めていた。
急に家に押しかけたり、一緒に寝ようと言い出すなど、珠紀に迷惑をかけることは分かっていた。
それでも、少しでも一緒にいたかった。
自分は特別なのだと思いたかったのだ。

「祐一先輩も嫉妬するんですね。嬉しいです」

「これもお前に出会ってから知った気持ちだ。他の守護者にだって嫉妬する」

日々渦巻くドロドロとした黒い感情。
毎日少しずつ現れる気持ちの変化に、戸惑いながらも嬉しく思ったのもまた事実。
自分が化け物ではない、人間だと再確認できるから。

「私と同じですね」

珠紀は笑った。

「同じ?」

「私だって、ヤキモチくらいやきますよ。拓磨や真弘先輩にだって。おーちゃんにも妬きます。
だって、みんな私の知らない先輩知ってるし、おーちゃんは先輩と一緒にお風呂にはいるし。
今日だって、私は先輩と手を繋ぎたかったのに、おーちゃんが繋いじゃうし・・・」

それはまさに祐一が思っていたことと同じことで、祐一は驚いた。

「でもね、みんなといて、幸せだなとも思うんです。
私がいて祐一先輩がいて、みんながいて。それがとても嬉しい。
さっきもおーちゃんと一緒に寝転がる先輩を見て、
子供がいたら私たちこんな感じなのかな、とか考えたりもしたんですよ」

珠紀はふふっと笑った。

「ねぇ、先輩。今日の夕日と同じですよ。私たちは結構同じものを見ていたりするんです。
だから、安心してください。私と祐一先輩は一緒ですよ」

自分と珠紀は違う存在だと思っていた祐一。
自分だけが嫉妬し、醜い感情を持っていたと思っていた祐一。
でも、それは祐一だけではなかった。
珠紀もまた同じように感じていたのだ。

「珠紀・・・」

祐一は珠紀に手に指を絡ませた。
離れていた心がまた一つに繋がった。

「やっと繋がりましたね」

「ああ」

それから祐一は体の位置をずらして、珠紀のすぐ隣までやってきた。
そして繋いだ手を引き寄せ、珠紀を抱きしめた。

「俺も考えていた。お前とオサキ狐を見て、俺たちの将来のことを。
愛している、珠紀。これからもこうしてお前と過ごしていきたい。
同じものを見て、同じことを感じ、共に同じ思いを抱きながら」

祐一は珠紀の額に口付けた。
口付けは頬、耳、顎と少しずつ降りていき、最後に唇へとたどり着く。

「ん・・・、せんぱ・・・い」

珠紀が甘い声で祐一を呼ぶ。
しかし、祐一からの反応はなかった。

「先輩?」

おかしいと思い祐一を見てみると、なんと祐一は眠っていた。

「ちょっと、先輩!?本当に寝ちゃったんですか?」

軽く揺すってみるが、起きる気配は全くない。
珠紀は溜息をついた。

「私ちょっと覚悟したのになー」

祐一を睨みつけるが、それも長くは持たなかった。
それは祐一があまりにも幸せそうな顔をして寝ているからである。
珠紀は「しょうがないな」と布団をかけなおしてやり、自らも眠りについた。
二つの寝息と二つの鼓動が共に合わさり、幸せそうに眠る二人と月明かりのみが照らしていた。




<了>




ファンブックの疑似家族のイラストと見ていたら急に川の字でが出てきました。
家族みたいに過ごす三人の中に巻き起こる、嫉妬の感情。
それはやっぱり三人の関係が微妙に家族ではないからなのです。
祐一先輩は珠紀と会って、感情がかなり豊かになったのではないかと思います。
でも、話に脈絡がありませんね。同じものを見ているって漢字で書きたかったんですけど。
ちょっと失敗した感じがします。
それでも少しでも楽しんでいただけたら・・・。