ヒノエ猫鈴奏で




その日の朝、ヒノエはイライラという擬音語が目に見えて分かるほど機嫌が悪かった。

「あの、ヒノエくん?」

怒りを抑えるように静かに黙り込んでいるヒノエに、望美は声を恐る恐る声を掛けた。

「分かってるんだろ?」

ヒノエはそれだけ言った。

「・・・うん」

望美はため息混じりに答えた。
ヒノエが苛立っている原因。それは、

「コ・イ・ツ・の・せ・い・だ・よ!」

ヒノエは力を込めて望美の膝で寝ている白い子猫を指差した。
この白い子猫、名を桃花という。
少し前にヒノエが拾ってきた猫で、今では飼い猫として共に暮らしている。
しかし、この猫、望美には懐くくせに、ヒノエにはサッパリ懐かない。
自分が拾ってきたくせに全く懐かない子猫にヒノエはイライラしっ放しなのである。
とはいえ、望美はとてもこの猫を可愛がっているので、ヒノエとしても何も言いようがない。
望美さえ喜んでくれるならと、今まで我慢を続けていたのだが・・・。

「今日は絶対許さねぇ」

ヒノエは桃花の首の皮をつまみあげると、鼻先をつき合わした。
桃花は無理やり起こされて、不満そうに目を薄く開けてヒノエと対峙していた。
相変わらず仲の悪い一人と一匹を見て、望美は深く息を付いた。





事の発端は昨日の夜にまで遡る。
月の明るい光が御簾越しに室へと入る夜。
藤原邸のとある一室では毎日のように繰り返される夫婦の色事が行われていた。

「望美・・・」

「ヒノエくん・・・」

素肌を寄せ合い、仲睦まじく戯れる中、

「ひゃぁ」

望美が声を上げた。
しかし、それはヒノエの愛撫に答えたものではなく、

「え?オレはまだ何も・・・」

と、訝しむヒノエは確認するように、自分の手の位置などを確かめた。

「な、何かが、足に」

震える望美はもぞもぞと足を動かした。
ヒノエが足元を見てみると、そこにいたのは、

「も〜も〜か〜」

ヒノエは望美の足に擦り寄っていた桃花を拾い上げた。
最近、夜は女房に預けて寝ていたはずである。
というのも情事を行うのに子猫がいることを望美が恥ずかしがったからだ。
ヒノエももちろんその方がいいので、何の意義もなく預けていただが、
どうやら女房のところから抜け出してきたらしい。
ヒノエの差し出した子猫を見ると、望美は体を起こし桃花を受け取った。

「どうしたんだろ?寂しかったのかな。このところ預けてばっかりだったし」

望美に抱きしめられると桃花は安心したようにゴロゴロと喉を鳴らした。
それをヒノエはヒョイと奪い取る。

「仕方ないだろ。コイツは女房のところに戻してくる」

着物を軽く引っ掛け立とうとするヒノエの手から、今度は望美が桃花を奪い取った。

「ダメ。今日は一緒に寝る」

「はぁ?じゃあ、望美はコイツがいてもいいの?恥ずかしいって言ったの望美だぜ。オレは構わないけど」

むしろ見せ付けてやるいい機会だ。
望美は少し考えると、褥の周りに脱ぎ散らかした着物を羽織った。

「今日はこのまま桃花と寝ることにする」

「ちょ、それはナイだろ!」

望美の言葉にヒノエは慌てた。
しかし、望美はさっさと着物を着て横になってしまった。
当然桃花を脇に抱えてである。
こうなってしまっては、ヒノエにはどうすることもできない。
望美はこう見えて頑固なのだ。
コレと決めたら梃でも動かない。

(これじゃ、生殺しだ・・・)

ヒノエはまだ火照っている体に虚しさを覚えながら、望美の隣に横になって眠れない夜を過ごしたのだった。





そんなわけで、今朝のヒノエはとても機嫌が悪い。
望美も半分は自分のせいだと思っているので、取り繕うことも出来なかった。

「だいたい、コイツ猫だからか全然気配がしないんだよ」

ヒノエは桃花を床に降ろした。

「そういえば、女房さんも全然気が付かなかったって言ってたね」

朝、桃花がいないことに気付いた女房が慌てて桃花を探しにきた。
そして事の次第を知ると、必死になって謝ってきたのだった。
望美は気にすることはないと許し、ヒノエもそれを許したのだったが、
その時このようなことを言っていたのだった。

「つまり、コイツの居場所が分かるようにすればいいんだよな」

「う〜ん。気配が分からなければ、音とか?」

「それだ!」

望美の一言にヒノエはピンときた。
そして何を思いついたのか部屋を出ると、しばらくして手に何かを持って戻ってきた。

「いいものがある」

そう言って望美の前で掌を広げるとそこには小さな鈴が一つ乗っていた。
ヒノエが手を揺らすと鈴はチリリと可愛らしい音色を立てた。

「そうか、鈴だね。そういえば首輪まだしてなかったな」

望美も手を叩いた。

「でも、小さい時に貰ったやつだから、紐がどっかいってるんだよな」

確かに、この鈴には紐がついていない。
これでは首輪にすることはできない。

「それなら」

と、今度は望美が長持ちの中を探っていくつかの紐を取り出した。
望美がいつも髪留めなどに使っているものである。
青、黄色、緑など様々な色がある中、望美はどれにしようかと悩んだ。
しかし、結局いい色が見つからず望美はそれらを片付けた。

「別に何色でもいいじゃん」

ヒノエはそう言ったが、望美は首を横に振った。

「この中の色じゃダメなの。大丈夫、夕方までには見つけておくから」

望美がここまで色にこだわるのも珍しいと思ったが、そろそろ仕事に出かける時間だと女房に言われ、
ヒノエはまだ少し苛立ちの残る感情を抱え仕事場へと向かったのだった。





その日一日ヒノエはいつもより少しばかり水軍衆をこき使うことでイライラを解消していた。

「さぁて、帰るか」

夕刻。ヒノエがすっかりいつもの調子に戻った頃、港では屍のように疲れ果てた水軍衆が転々としていたという。
家に帰ると真っ先にヒノエを出迎えたのは、望美でも女房でもなく以外にも桃花だった。

チリン チリン

と鈴の鳴る方を見れば、桃花がヒノエ目指してタカタカと駆け寄ってくるところだった。

「鈴、付けてやったんだ」

桃花はヒノエの足元に来るとちょこんと座り、「見て見て」と言わんばかりに尻尾を振った。
その様子にヒノエはしゃがみ込んで「よかったな」と頭を撫でてやった。
これで問題解決である。
鈴の付いた首輪を見てみると、鈴は赤い紐で結ばれていた。

(赤?)

そういえば望美の取り出した紐の中に赤色はなかった気がする。
どうして望美はわざわざこの色を選んだのだろうか。

「お帰りなさい」

少し遅れて望美もヒノエの出迎えに現れた。
ヒノエは桃花を抱き上げると、少しでも望美との距離を縮めようと自らも歩みを進めた。

「ただいま」

ヒノエは望美の額に軽く口付けを落とした。

「お帰りなさい。お仕事お疲れ様」

望美もヒノエに口付けを送る。
一通り挨拶が済むと、ヒノエは指で鈴を鳴らしながら望美に気になったことを尋ねた。

「コレ、今朝はなかったけど、どうして赤いやつにしたの?」

ヒノエの質問に望美は少しだけ頬を赤く染めて答えた。

「だって、赤はヒノエくんの色でしょ」

「え?」

「赤い紐はヒノエくんの物って証なの。もちろん私のって意味もあるけど」

そのために赤い紐を捜したのだという。
照れ臭そうに話す望美の髪をヒノエは撫でた。

「ホント、お前は可愛すぎるね」

「ヒノエくん?」

フッと顔を和ませるヒノエには、もう今朝の不機嫌さは見当たらない。
だいたいは水軍衆で解消してきたつもりだったが、やはり一番の万能薬は望美だった。

「そっか、赤はオレの色・・・ね」

ヒノエは小さく呟くと、おもむろに望美の胸元に口付けた。

「な、何!?」

驚く望美。ヒノエが顔を上げるとヒノエが口付けていた場所には赤い花が咲いていた。

「ああっ!こんな目立つところに」

望美は憤慨してヒノエを睨みつけた。

「だって、赤はオレの物って証なんだろ。だから、コレは望美はオレの物って証」

トンと胸元に指を立てて、ヒノエは悪戯っぽく笑った。

「今夜は昨日の分まで体中に花を咲かせてやるからな」

ボソリと耳に囁かれた言葉に望美は顔を真っ赤にしてパクパクと口を開閉させ、
桃花を抱いたまま先を歩くヒノエを見つめた。





その日の夜、鈴を付けたおかげで居場所の分かるようになった桃花に邪魔されることなく、
夫婦の色事は何事もなく行われることとなった。
もちろん、望美の体にたくさんの花が咲いたことは言うまでもない。
しかし、その二日後、先日と同じように夜中に桃花が寝室へとやってきた。
「どうして?」と再び悩むヒノエと望美。
実は預けた女房が熟睡していたため、鈴の音が聞こえていなかっただけの話だった。



<了>



本日2月22日は、ニャンニャンニャンということで、猫の日です。
それにちなんでUPしました。
ついに第5弾です。意外と長く続いています。
今回はちょっとヒノエと子猫がいい雰囲気です。
少しずつ仲良くなっているのでしょうか。