夢の旅路




からりと晴れたとある日。
望美はヒノエの仕事場である港へと足を向けていた。
もう何度も通った通いなれた道。
始めは遠くにしか見えなかった船ももう大分近づいてきた。
船の周りには熊野の水軍衆たち。
望美は人の集まっている方へ寄っていくと、男たちに声を掛けた。

「こんにちは」

「これは奥方様。今日もお綺麗ですね」

水軍は望美の登場に集まってきて、口々に挨拶を述べた。
望美も一人ひとりに挨拶を返す。
こんなふうに優しく接してくれる望美を水軍衆はとても気に入っていた。
いつもならここでヒノエが出てきて「近づくな」「触れるな」と文句を言ってくるのだが、
今回はどういうわけか出てこない。

「ヒノエくんは?」

望美はヒノエの不在を問いかける。

「頭領なら、『ちょっと休憩』とか言って、どっか行っちまいましたよ」

「そうなの?折角話したいことがあったのに」

残念そうに俯く望美に水軍衆は心底同情した。

「もう少し探してみますね」

「わかりました。会ったら戻ってくるよう伝えてください」

水軍の男の言葉に、望美はにっこりと笑ってその場を後にした。
少し離れてちらりと振り向けば、大きく腕を振って送り出す水軍衆の姿があった。

「ちょっと、大げさかな・・・」

慕われているのは嬉しいのだけれど、あそこまでされるとちょっと恥ずかしい。
回りをまるで気にしない。
さすがヒノエの率いる熊野水軍だと、望美は改めて思った。

「さて、ヒノエくんだけど、いつもの休憩ならここら辺にいるはず」

望美は海から少し離れた茂みの中へと足を踏み入れた。
ガサガサと木の葉をぬって前へ進むとヒノエお気に入りの空き地が姿を現す。
程よく木漏れ日が漏れ、休憩や独りきりになりたいときにはもってこいの場所だった。
以前ヒノエが望美にこの場所を教えてくれた。
それ以来こっそりと仕事を抜け出しては、たまにこの場所で逢瀬を交わしたりしたこともあった。

(いたいた)

茂みから顔を出すと、思ったとおり空き地にはヒノエの姿があった。
見ると腕を枕にしてすっかり居眠りをしている。

(疲れているのかな・・・)

望美はヒノエの隣に膝を突いた。
いつもなら人の気配ですぐに目を覚ますヒノエだが、今日は眠りが深いのか一向に起きる気配がない。
ヒノエのあどけない寝顔に目を奪われていると、脇に置いてあったヒノエの上着がゴソゴソと動いた。

(何?)

望美が不思議に思って見ていると、そこから現れたのは一匹の白い猫であった。
今までヒノエの上着の中で寝ていたのか、気持ち良さそうに大きな伸びと欠伸をした。
そして、先ほどまでいなかった望美に気付いて黄色い目を向ける。

「ふふっ、可愛い。ちょっと大人しくしててね。ヒノエくんが起きちゃうから」

望美はしーっと唇に人差し指を当ててお願いした。
猫は了解したのか分からないが、後ろ足で耳の後ろを掻いている。

「寝てるし、少しくらい大丈夫かな。いつもヒノエくんからばっかりだもんね」

望美は身を屈ますとそっとヒノエの唇に口付けた。




「・・・ん」

ヒノエは唇に触れるわずかな感覚で目を覚ました。

「望美?」

薄っすらと瞼を開ける。
しかし、日の光が眩しくてすぐには視界が開けない。
ヒノエは望見がいるであろう方向に手を伸ばした。

(? 何かいつもより毛深いな)

そこでパッチリと目を覚ましたヒノエに移ったものは、

「ニャー」

「うわっ!」

ヒノエは思わず身を起こした。
ヒノエの横にいるのは白い猫。望美の姿は何処にも見えない。

「今のはお前か?」

ヒノエは無意識に口を拭った。
猫は返事をするようにもう一度鳴いた。
そして茂みに向かって歩いていき、ヒノエを一度振り返ると茂みの中に姿を消した。

「付いて来いってか」

何となくだがヒノエにはそう言っているように見えてしょうがなかった。
どうせ起きてしまったのである。ここは一つ猫について散歩というのもいいだろう。
ヒノエは猫を追って茂みの中へと入って行った。


少し奥に進むとかすかに人の声がする。
ヒノエにはその声が知っている者の声に聞こえてならなかった。
息を潜めて気の陰に隠れる。
そろりと覗いてみればそこにいるのは・・・、

「弁慶っ!望美っ!」

驚きのあまりヒノエは木の陰から飛び出した。
何故二人が此処に?
弁慶は鎌倉にいるはずでは?

「ヒノエ、ちょうど良かった。実は僕らから話があるんです」

「話だと?」

「ええ」

そう言って弁慶は馴れ馴れしく望美の肩を抱き寄せた。

「実は僕たち、結婚するんです」

「はぁ?」

(こいつは何を言っているんだ。望美はオレの妻だぞ)

ヒノエは一生懸命この場の状況を理解しようとした。

「ごめんね、ヒノエくん。私、弁慶さんが好きなの」

謝る望美は微笑んでいた。
そして、弁慶と手を取り合うとヒノエには一瞥もくれず、離れていく。

「嘘だろ!?望美!」

ヒノエは一歩踏み出した。
しかし、そこにあるはずの地面はなく。
ヒノエはぱっくりと開いた闇の中へ落ちていった。




「っ!」

ヒノエは恐怖で目を覚ました。

「夢・・・か」

考えてみれば望美は弁慶と結婚するなんてありえない。
ほっと一息つくと、視界の隅を何かが通った。

「あっ!アイツ」

夢の中にも出てきた白い猫がヒノエの隣を悠然と歩いていた。
そういえば夢の中ではいつのまにかいなくなっていた。
そして、ヒノエは再び猫の姿を追った。

「確かこっちに来たはず」

ヒノエは茂みを抜けて道に出た。
道の先を見ると一方から人影が歩いてくるのが見える。

「望美!親父!」

ヒノエは駆け寄って行った。
望美と共に湛快がいるのは気に入らなかったが、先ほどの夢を見た後だったので望美にあえて安心した。
そして先ほど見た夢のことを話す。

「へぇ、そりゃあ、へんてこな夢を見たな」

「ホントに」

二人は笑って答えた。

(よかった。いつもと同じだ)

ヒノエは胸を撫で下ろした。

「現実は違うのに。ね、湛快さん」

「え?」

意味深に見つめ合う二人。
ヒノエは嫌な予感に襲われた。

「私たちね。一緒になるの」

少し照れ臭そうに望美が告げた。

「なっ!だって、望美はオレの妻だし、親父には母上がいるだろう?」

「女房?そんなんいたっけ?」

「さぁ?」

訳が分からないとでも言うように、二人は肩をすくませた。

「湛快さん。ヒノエくんなんかほっといて私たちは行きましょう」

「そうだな。じゃあな、湛増」

二人はヒノエに手を振った。

「ちょっと待て!」

ヒノエが一歩踏み出すと、それを遮るかのように突風がヒノエを襲った。




「待てっ!」

ヒノエが差し出した手は空を掴んだ。
瞼を開ければそこは先ほどの空き地。

「また・・・夢だったのか」

どうして、こんな夢ばかり見るのか。
それもこれも全部あの猫のせいだ、とヒノエはおもった。

(今度見ても絶対追いかけないからな)

ヒノエは再び目を閉じて気持ちを落ち着かせた。
そして、目を開くと視界いっぱいにあの白い猫の顔があった。

「っ!」

いきなりの顔のアップに驚かされる。

「またお前かよ。いいか、今度こそ追いかけないからな」

その言葉に猫は不満だったのか、一声鳴くと茂みの中に去っていった。

「何なんだよ、アイツは・・・ん?」

気付けは自分の隣にもう一人寝ている姿がある。

「なんだ、望美も来ていたのか。起きろよ、望美」

ゆさゆさと肩を揺する。
しかし、望美は一向に起きない。
揺する手を止めると、力なく首がカクリと垂れた。

「っ!」

ヒノエは腕を引っ込めた。

(どうしてこんなに冷たいんだ)

望美の体温は生きた人間のものではなかった。
見える範囲の肌は青白く、生気が宿っているようには見えない。

「望美!望美!」

激しく揺さぶるが、望美は目を覚まさない。

(まさか、死ん・・・)

ヒノエは頭に浮かんだ考えを必死に振り払った。
ヒノエの呼び声に答えない望美は、青白さを一層増し、少しずつ風景に溶け込むように薄くなっていく。

(嫌だ。こんなのは!弁慶と結婚するより、親父と一緒になるより、
お前がオレの目の前からいなくなるのが一番嫌だ!)

だが、無常にも望美の姿はヒノエの前から消えていくのだった。
布の一切れ、紙の一本も残さず。まるで元から望美という存在がなかったかのように。

「望美―――――っ!!」

ヒノエは何も掴むことのできなかった手を硬く握り締め、力の限り叫んだ。




ヒノエは瞼越しに入ってきた木漏れ日の眩しさに目を覚ました。

「・・・重い」

腹部にわずかな重量を感じる。
首だけ起こしてみればあの白い猫が丸くなって眠っていた。

「こいつの仕業か」

ヒノエは猫の首根っこを掴むと身体からずり下ろした。
猫は起こされ、さらには寝床までなくし不満そうに泣いた。

「またお前のせいで、嫌な夢見ちまったぜ」

夢を梯子しすぎて夢なのか現なのかはっきりしない。
ヒノエは体を起こすと、いつの間にか流していた涙を拭った。

(それにしても最悪な夢だったな)

額と背中にはじっとりと汗が滲んでいた。
ふと見ると隣には先ほどと同様、隣で眠っている望美の姿がある。
一瞬ヒノエは息を呑んだ。
まさか、まだ夢の中にいるのだろうか。
ヒノエは恐る恐る望美に手を伸ばした。
そっと頬に触れる。

(温かい)

ヒノエはその温もりに確かな生を感じ取った。

「望美、起きて」

ヒノエは頬を撫でた。
すると望美の瞼が揺れ、ゆっくりと開かれる。
やがて澄んだ翡翠色の瞳は自分を見つめるヒノエを捕らえた。

「おはよ、ヒノエくん」

まだ寝ぼけた表情を残しながら微笑む。
ヒノエも顔をほころばした。

「ああ、おはよう。オレの姫君」

ヒノエはもう一度頬を撫でると、望美を起こした。

「それで、今日はどうして此処に?」

ヒノエは伸びをしている望美に尋ねた。
望美は「あっ」と声を漏らした。
どうやら寝ていたせいですっかり忘れていたようだ。
そして内容を思い出すと意味深に微笑んだ。

「実はヒノエくんにいいお知らせがあってね。帰ってくるまで待ちきれないから来ちゃった」

「へぇ、それは是非聞いてみたいね」

「あのね・・・」

望美はヒノエの耳に口を近づけて囁いた。
望美の口から紡ぎだされる言葉にヒノエは耳を傾ける。
そして望美の話した内容とは驚くべきものだった。

「っ!本当に?」

ヒノエの問いに望美は微笑で返した。
頬はわずかに高潮し、幸せに満ち溢れている。

「また、夢じゃないだろうな」

これは悪夢から抜け出そうとする自分が見せた都合のよい夢なのではないだろうか。
散々悪夢を見てきたため、ふとそんな疑問が浮かんだ。

「夢?」

「いや、こっちの話」

不思議そうな顔をしている望美にヒノエは先ほど見た夢の話をした。
それを聞くと望美は、ヒノエの手をとった。

「私はちゃんとここにいるでしょ?夢なんかじゃないよ。
私はヒノエくん以外の人とは結婚なんかしないし、先に逝ったりもしない。
私にはヒノエくんだけなんだから・・・」

「望美・・・」

揺れれば伝わる温もり、それがお互いの存在を主張する。
不安がなくなると、望美の言ったことにだんだん実感がわいてくる。
ヒノエは堪らなくなり望美を抱きしめた。

「ヒノエくん?」

「望美、ありがとう。オレ、すっごく嬉しい!」

それを聞いて望美は涙を浮かべ、ヒノエを抱きしめた。
その時ガサリと茂みが揺れた。
見るとあの猫が去っていくところだった。

「あ・・・」

「どうしたの?」

ヒノエの声に望美が尋ねる。

「いいんだ、なんでもない」

「変なヒノエくん」

望美はおかしそうに笑った。
ヒノエはそれを眩しそうに見つめる。

「そういえば、水軍の人も探してたよ」

「そうだな。そろそろ戻ろうか」

二人は手を繋いで歩き出した。

(これがオレの現実だ。幸せで大切な・・・オレのいる場所)

夢で見たたくさんのこと。
改めて今いる現の世の大切さを知った。
そして愛する者が傍にいてくれる幸せ。
これからも共に生きていこう。
先なんて分からないけれど、同じ道を二人手を繋いで。



<了>



リクエストの作品にしようと思ってボツったやつです。
何が自分的にまずかったかというと、内容がリクエストにしては暗すぎだし、
夢が似たり寄ったりだからです。
内容がごちゃごちゃしてるってのもあるのですが、
これは今が夢なのか現実なのか混乱させるためなので、とりあえずその点はおいときます。
でも折角書いたので、リクエストの作品ではなく普通に載せることにしました。
正直あまり気に入っていない・・・。
それでも誰か気に入ってくれる人がいたらとの思いを込めて。

そうそう、望美がヒノエに何を言っていたかはナイショです。
きっと夢も吹っ飛ぶくらいイイコトなんですよ。