恋路之敵




「退屈だな」

ヒノエは横になり天井を見上げながら呟いた。
浅葱との死闘を終え、望美を無事に連れ帰って二日たった。
しかし、毒に侵されたヒノエの絶対安静は未だ解けていない。
自分としてはもう大丈夫なのだが、望美はそれを許さなかった。

『絶対に動いちゃダメだからね!ヒノエくんは当分絶対安静なんだから』

きつくヒノエに言いつける。
強がっているがヒノエには分かっていた。
望美は責任を感じているのだ。
自分のせいでヒノエがこんな状況になってしまったことを。
だからヒノエは大人しく言うことを聞いていた。
何より望美を安心させるために。

「まぁ、たまにはいいか。それに・・・」

その時、部屋の外からこちらに向かって近づいてくる足音が聞こえた。
聞きなれた足音。これが示す相手をヒノエは知っている。
そして予想通り、

「ヒノエくん、調子はどう?」

顔を出したのは望美だった。
ヒノエは目を細めた。

(暇つぶしはいくらでもある)

ヒノエは昨夜のことを思い出した。
自分のせいだと思いつける望美にヒノエはこんな提案をしたのだ。

『じゃあさ、オレの言うこと聞いてよ。それで帳消し。いいだろ』
『いいよ。何でも言って』

そう望美は口にしたのだ。
こんないい状況を使わない手はない。
そんなわけで、昨夜は充実した一夜を過ごしたわけだが、それで終わるヒノエではなかった。

「薬湯を持ってきたの」

望美は湯飲みを差し出した。
ヒノエも起き上がって湯飲みを覗いた。
中には青臭い濃い緑色をした液体。
明らかに弁慶が作った物としか思えない一品だった。

「これはまた、強烈だな」

「弁慶さんの薬って効くんだけど、見た目がね」

望美も困ったように笑った。

(見た目どころの問題じゃないんだけど)

しばらくの間薬湯と睨みあう。
そして・・・。

「望美が飲ませてよ」

ヒノエはそう提案した。

「うん。いいよ」

あっさりと承諾して、望美は湯飲みをヒノエの口元へ運んだが、それをヒノエは手で遮る。

「そうじゃなくて、口移しで」

当然だろ?とにっこりと笑って促す。

「えぇっ!」

「何でもするって言ったよね」

「うっ」

「頼むよ。どんなに苦い薬でも、お前の唇から飲まされるなら、甘い媚薬と同じさ」

上目遣いにお願いされては断ることはできない。
それでも、これを口にするのは勇気がいる。
ヒノエ同様、薬湯としばらく睨み合い・・・ようやく望美は決意した。

「わかった。その代わり、ちゃんと飲んでね」

「もちろん」

望美はヒノエに確認を取ると、一気に薬を口に含んだ。

(あれ?思ったより不味くない)

ホッと安心して、それをヒノエの口に運ぶ。
互いに瞳を閉じて、唇が触れ合おうとしたその時・・・。

ドドドドドッ

地響きを立てて近づいてくる大量の足音。
それと同時に何やら雄叫びのようなものも聞こえてくる。

「頭領―――っ!」

勢いよく御簾が開けられ、現れたのは熊の水軍の男たちだった。

「頭領!毒盛られたって本当ですか!」

「お怪我は!」

「奥方様は、ご無事なんですか!」

我先にと一気に押し入る男たち。
その光景にヒノエと望美は唖然とした。

「お前ら!どうしてそれを」

水軍衆には秘密にしていたはずだ。
頭領が毒を盛られたなど話にならない。
しかし、この場で一番驚いていたのは望美だった。
ヒノエに口移しで薬を飲ませるという状況に、緊張が高まっていた最中だったからである。
そこにいきなり現れた水軍衆。
望美は驚きのあまり思わず薬を飲み込んでしまった。

ゴクリ

「・・・あ。飲んじゃった」

「何っ!」

折角の口付けのチャンスを奪われ、ヒノエは怒りに震えた。
それに気付かない水軍衆は尚も詰め寄ってくる。

「ああ、奥方様。よくご無事で。頭領も」

(オレはついでかよ)

後付のように心配されたことに、ついにヒノエは切れた。

「もういいっ!お前らはとっとと仕事場に戻れ!」

「は、はいぃ」

ヒノエの剣幕に、水軍衆はバタバタとその場から姿を消したのであった。

「ったく!何なんだよ、今のは」

ヒノエは怒りで火照った体を襟元を開いて冷やした。

「ごめんね、ヒノエくん。薬飲んじゃった」

申し訳なさそうに謝る望美。

「気にするな。それより、望美」

ヒノエは新たな策を思いついた。

「何か汗かいちゃったんだけど、体拭いてくれない?」

「えっ///」

「何でもするって・・・」

「わ、分かったから」

皆まで言わさず、望美は湯を取りに部屋から出て行った。

(ふふっ。望美は可愛いね。でも、お楽しみはこれからだよ)

先を想像してヒノエは微笑んだ。
そして、暫くして望見が湯桶を持って部屋へ帰ってきた。
褥の脇に桶を置き、手拭いを湯に浸しきつく絞る。

「体拭くから、着物を脱いで」

望美は真っ赤になりながら口にしたのだが、

「望美が脱がせてよ」

「何でっ///」

「わかってるだろ?」

「・・・っ///」

望美はそろそろと襟に手を伸ばし、少しだけ合わせをずらした。
わずかに見えるヒノエの細身ながらも鍛えられた身体。
いつもこの身体に抱きしめられているのかと思うと、恥ずかしさで望美は余計に顔を赤く染めた。

「どうしたの?真っ赤だよ、望美」

クスクスと笑いながらヒノエの手は望美の頬へ伸びる。
触れると望美はピクリと身体を振るわせた。

「可愛い。オレの姫君・・・」

ヒノエの顔が近づいてくる。
二人の唇が触れるまであとわずかという時、

ドドドドドッ

先ほどの水軍衆ほどではないが、劣りもしない足音が近づいてくる。
そして水軍同様勢いよく御簾が開け放たれ、姿を現したのは、

「湛増!毒盛られたんだって(笑)」

「げっ、親父!」

「湛快さん!」

驚いて望美はヒノエを突き飛ばした。
突き飛ばされたヒノエは褥の角と床に思いっきり頭をぶつけた。

「っ!」

それに気付かず望美は状況の説明を始める。

「あ、あの、これはですね。その・・・」

「いいって、望美ちゃん。どうせ、こいつが無理なお願いでもしたんだろ。『体拭いてくれ』とかさ」

さすが親子。よく息子を分かっている。

「こんなヤツより、オレの体拭いてくれると、お義父さんは嬉しいなぁ」

「ふざけんなっ、このクソ親父!」

湛快の言葉に復活したヒノエは、思いっきり枕を湛快の顔面に投げつけた。
見事にクリーンヒットした枕は、湛快の顔面をバウンドしてそのまま外へ。
しかし、それを新たに現れた人物が見事に受け止めた。

「全く、何してるんですか。あなたたちは」

弁慶は仰向けに倒れている湛快を見下ろした。

「よう、弁慶」

湛快は鼻血を出したまま、片手を手を挙げた。

「兄さん、水軍の人たちが困ってましたよ。
ヒノエのいない間はしっかり別当代理の役をしっかり果たしてください」

それを聞いて、鼻血を拭きながら起き上がった。

「おっといけねぇ。そんじゃ、望美ちゃん、また後で。湛増も・・・まぁ、適当に」

「適当かよ!二度と来んなっ!」

枕は先ほど投げてしまったので、今度は薬湯の入った湯飲みをお見舞いしてやった。
またしても見事に当たった頭を撫でながら湛快は出て行った。
それを見送った後、弁慶はヒノエに向きを返した。

「僕は絶対安静と言ったはずなんですが。ヒノエ?」

顔には怪しい笑みが浮かんでいる。
しかし、それに動じる甥ではなかった。

「ハッ、絶対安静?どこまで本当か分かったもんじゃないね」

「と言いますと?」

「あんたの魂胆は分かってるんだ。俺をここに押し込めて、望美を二人きりになるつもりだろ」

それを聞いて、弁慶は大げさに溜息を吐いた。

「悲しいですね。僕は薬師として、君の叔父として、君を助けたいだけなのに」

「弁慶さん・・・」

悲しそうに目を伏せる弁慶に望美は同上の眼差しを送った。

「騙されるなよ、望美。
残念だったな、弁慶。望美はオレから離れないぜ」

ヒノエは見せ付けるように望美を抱き寄せた。
ほんのわずか、誰にも分からない程度に弁慶の頬が引きつる。

「ところで、僕の作った薬湯は飲みましたか?」

「あ、あれは・・・」

ヒノエが言葉を濁す。
まさか、望美が飲んだとは言えまい。

「ごめんなさい。あれは・・・まだ」

望美もどう説明したものかと思っていると、弁慶はにっこりと微笑んだ。

「気にしないでください。アレ、味がしなかったでしょう」

「はい。あっ」

墓穴を掘ったと望美は気付いたが、手遅れだった。

「そんなことだろうと思いました。ヒノエ、新しい薬湯ですよ」

差し出された薬湯は、先ほどにもまして緑色が濃く、匂いもきつかった。

(絶対ワザとだ)

何もかも見越してこの薬湯を作ったに違いない。ヒノエはそう確信した。

「今度のは間違いなく苦いくて不味いですから」

微笑む弁慶の背後にヒノエは黒いオーラを見た。

「それでは、望美さん。僕はまだ用事が残っているのでこれで失礼します」

弁慶は薬湯を望美に託した。

「今度は絶対にヒノエ自身で飲ませてくださいね」

そう念を押すと弁慶も部屋を後にした。
弁慶が出て行った後、望美は感嘆の息をついた。

「弁慶さんて、本当にいい人」

「どこが!」

「だってヒノエくんのためにここまでしてくれるんだもの。いい人でしょ」

本当は望美のためであって、ヒノエはいじめられているだけなのだが、本人は全く気付いていないらしい。
少し哀れに思うくらいだ。

「さぁ、ヒノエくんも頑張って薬飲もうね」

笑って応援されてしまっては、男として飲まないわけにはいかない。
ヒノエは一気に薬湯を煽った。

(にがっ!?)

ドロリとした液体が喉を流れる。
その匂いも味も強烈なものだった。
目を瞑り、なんとか全てを飲み干す。
最後に口を拭うと、ヒノエは息をついた。

(今までで一番最悪な味だ)

ヒノエの感想はそれだった。
望美はちゃんと飲んだことを確認すると、徐にヒノエに口付けた。

「よくできました」

照れて微笑む望美。
ヒノエはいきなりの口付けにきょとんとしている。

「望美?」

「たって、ヒノエくんが言ったんだよ。
口付けが甘いって。苦いものの後には、口直しが必要でしょ」

望美は失敗したかとおずおずと答えたが、ヒノエはそれを聞いて頬を緩めた。
わずかに頬が赤くなっている。

(ホント、かなわないね。望美には)

ヒノエは望美を抱き寄せた。
そして、再び唇を重ねる。

「もっと頂戴。甘い口付けを」

何度も口付けを交わす。
浅く、深く。
やがて、二人の影は褥の上で一つになるのだった。




同じ時、ヒノエの寝室の前ではもう一つの影があった。
それは浅葱討伐のために呼び寄せられた景時の姿。

「うぅ、朔。お兄ちゃんはくじけそうだよ」

瞳には薄っすら涙も浮かんでいる。

「ヒノエくん、望美ちゃん。折角お見舞いに来たのに」

入るには入れない雰囲気に、景時はしばらく立ち尽くしていたのだった。



<了>



クリスマス企画のリクエストです。
時間的にはヒノエの闘病生活中の話。本人は大丈夫だと言っていますが。
本当の敵は身内に有りとうことで、「恋路之敵」です。
熊野水軍の人たちは、きっと素で気付かずに邪魔をしにきます。
そして頭領に怒られます。みんな望美が大好きなんです。
湛快さんと弁慶さんは確信犯です。
でも、弁慶さんの方は本気できてるので、ヒノエも気が抜けません。
ちなみに水軍衆や湛快さんにヒノエが毒を盛られたとばらしたのも弁慶です。
彼は何処までも根に持つ男です。
それと折角景時がいるので、オチとして登場させてもらいました。

クリスマス企画に参加してくださったSJIN様に
葉月から心からの感謝の気持ちを込めて・・・。