残される者の思い




「ヒノエくんと二人で出かけるのって久しぶり」

望美ははしゃいで、繋いでいた手をブンブンと振った。
ヒノエの休日に二人は町へ遊びに出ていたのだ。
露店を見て、お腹がすいたら美味しいものを食べて。
幸せな時間を二人は過ごしていた。
何より二人で一緒にいられることが何よりも嬉しい。
朝から出歩いて、そろそろ帰ろうと町を歩いていると、ざわざわと人だかりが出来ているのが目に入った。
何だろうと人ごみを掻き分けて除いてみると、一人の女性が数人の男たちに囲まれている。

「ほらっ、こっち来いよ」

体格のいい男が娘の腕を掴んで引っ張る。

「やめてください!」

娘は抵抗するも、残りの男たちが後ろからぐいぐいと押し、ズルズルと引かれていってしまう。
町の人々はただその様子を見ているだけだ。

「どうしたんだ?」

ヒノエが近くにいた町人に尋ねる。

「こ、これは別当殿!いやいや、本日はお日柄も良く・・・」

「いいから、さっさと答えろよ」

ヒノエは挨拶をしようとする町人に、イライラしながら聞き返した。

「いえ、何でも男の肩に娘がぶつかったらしいんですよ。そしたら莫大な慰謝料を要求してきて、
娘がそれを払えないと言ったら、体で払えって連れて行かれそうになってるんですわ」

「何それ!時代劇じゃあるまいし!!」

望美は町人の説明に憤慨した。

「それで、あなたたちは今にも連れて行かれそうな娘さんを黙って見てるんですか?」

「そのぉ、奴らはここ最近ここらを荒らしてる輩でして、
とても我々のような非力な人間が太刀打ちできるような者ではないのでございます」

何とか言い繕おうと、町人は汗を流しながらモゴモゴと弁解した。
そうしている間にも娘はどんどん引きずられている。

「誰かっ!誰か助けてっ!」

娘が悲鳴を上げる。
だが、集まった人々はただ眺めているだけで動こうともしない。

「誰も、助けにこねぇよ」

男がバシッと娘の頬を打った。
ヒノエはチッと舌打ちすると、一歩踏み出した。
しかし、その横を薄紫の長い髪が通り過ぎていく。

「ちょっと!やめなさいよ!」

出て行ったのは望美だった。
完全に出遅れたヒノエは我が目を疑う。

「えっ、望美?」

「あわわ、じっ嬢ちゃん、大丈夫かねぇ」

隣で慌てる町人をヒノエはジロリと睨み付けた。
元はと言えば、町の人間が早く助けに出ないからこうなったのに。
ヒノエに睨みつけられた町人は、慌てて口を告ぐんだ。
それを見届けると、ヒノエはすぐに望美に視線を移した。

「何だ?この女」

突然現れた望美に男たちの視線が集まる。
驚いて男の力が緩んだ隙をついて、娘は望美の元へ駆け寄った。
娘は懇願するように望美を見上げている。
望美は娘をかばうように背中に隠した。

「大丈夫。もう安心だから」

背中越しに望美が声を掛けると、ようやく娘は安堵したように息をついた。

「この人をどうする気?慰謝料を取るって、誰も痛そうにしてないじゃない」

ぐるりと男たちを見回す。
すると、そのうち一人が思い出したように「痛ぇ、痛ぇ」と腕をさすった。

「嘘!そっちの腕じゃなかったわ」

背後に隠れていた娘が、大声で指摘した。
男はグッと唇と咬むと、

「うるせぇ!」

と腰に刺した刀に手をかけ、刀を振り上げた。



ヒノエは望美に視線を移してすぐ、声を掛けられた。
脇にはどこから現れたのか、烏が控えている。

「湛増様」

「皆を集めろ。このごろつきどもを片付ける」

ヒノエは素早く指示をした。
そうした間にも、望美たちのほうでは展開が進んでいる。

「うるせぇ!」

男が刀を触れ上げ、望美たちに迫っている。
ヒノエはすぐさま武器を手に男に向かっていった。
望美は娘を守るように抱きしめ、ぎゅっと目を瞑った。
しかし、次に来るはずの痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開けると、男の刀をジャマダハルで受け止めているヒノエの姿が目に入った。

「ヒノエくん!」

助けに現れたヒノエに望美が声を掛ける。

「望美、その人を連れて離れてろ」

男の刀を受けながらヒノエが指示する。
望美は「うん」と頷くと、娘を連れてその場を離れた。

「もう、大丈夫。あの人がきっと何とかしてくれる」

望美は娘に微笑んだ。
その笑顔に励まされて娘は力強く頷いた。

「お前たち、女性を扱う術が全くなってないね。優しく扱ってこその花なんだぜ。
そんな無理やり摘んだんじゃ、枯れちまうよ」

「何だと!」

細い腕で男の力強い刀を受け、しかもそれに全く引けを取らないヒノエに焦りを感じながら男が答える。

「出直しておいで」

ヒノエはフッと笑うと、男の右腕を切りつけた。
男は痛みに刀を落とし、左手で傷口を押さえた。
それを合図に、烏たちが現れる。
現れた新手に男たちは分が悪くなったことを知ると、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
しかし、ヒノエが雇う烏たちに敵うはずもなく、あっさりと男たちは縄についた。

「よし。こいつらは検非違使に引き渡しとけ」

「はっ」

烏たちは男たちを引き連れて去っていった。
ヒノエは集まっていた町人たちを眺めると、大声で叫んだ。

「一人の娘が無情にも連れさられようとしているのに、何故黙って見ている。
助け合うのが人情ってもんだろ?」

ざわついていた人々が黙り込んだ。

「望美が助けなきゃ彼女はどうなっていた?まずはあんたたちが先に動くべきだろ。
今後は今日のことをよく肝に銘じて行動してくれ」

そう説教すると、黙っていた町人の口から「すまなかった」声が漏れた。
こうしてこの場はどうにか落ち着き、後にはヒノエと望美と娘だけが残っていた。
望美は指示を終えたヒノエに近づいて声を掛けた。

「ありがとう。ヒノエくん助かったよ」

明るく声を掛けた望美に対して、振り返ったヒノエの表情は冷たかった。
ペチッ
ヒノエは望美の軽く頬を叩いた。

「ヒノエくん!?」

打たれた頬に手をやり、何故?と目で聞き返す。
本当に軽いものだったが、今までにないヒノエの行動に望美は動揺した。

「オレは命を粗末にするヤツは嫌いだ」

「えっ」

「それが分からないようじゃ、熊野別当の妻失格だ」

そう言い捨てて踵を返すとヒノエは望美を置いて去っていってしまった。

「あの・・・」

後姿を見つめる望美に先ほどの娘が声を掛けた。

「ありがとうございました。本当に助かりました。その、大丈夫ですか?」

娘は望美の頬を見ていった。
望美はショックを抑えて何とか微笑んだ。

「大丈夫。あなたも私よりずっと強く叩かれたんだから、早く家に帰って冷やした方がいいよ」

「でも、湛増様が・・・。ごめんなさい、私なんか助けたから」

「あなたは気を使わなくていいよ。これからは絡まれたりしないよう気をつけてね」

そう言って望美は娘と別れた。
娘は何度も立ち止まって振り返っては、望美に頭を下げて帰っていった。
一人になった望美はその場に立ち尽くして俯いた。
ヒノエに叩かれた頬がズキズキと痛み熱を持っているのがわかる。
しかし、それ以上に心が痛んだ。

「あれ?姫さんこんなところで何やってるんだい?」

顔を上げると湛快が立っていた。

「湛快さん」

「ん〜?浮かない顔をしてどうした。それに、その頬どうかしたのかい?」

顔を覗き込んでくる湛快に慌てて頬を隠そうとするが、既に遅かった。

「ははぁん。さては、湛増だな。ったく、女の子に手を出すなんて何てヤツだ。
しかも、こんなべっぴんさんの姫さんを、だ。オレはそんな男に育てたつもりはないんだが」

「あの、多分私がいけないんです。だから、ヒノエくんは悪くはありません。
それにちゃんと加減もしてくれてたし」

「ふぅん。姫さん、何故湛増がそうしたか分かってないって感じだな」

「・・・はい。ヒノエくんのことだから、きっとちゃんとした理由があると思うんですけど」

望美は再び俯いた。
そんな望美を見て、湛快はポンッと肩を叩いた。

「ここは一つお義父さんに話してみないか?力になるぜ」

湛快は元気付けるようにニッと笑った。

「はい。お願いします」

望美は力なく答えた。



「・・・という訳なんです」

熊野川の川岸に座って望美は事の一部始終を話して聞かせた。
その間に、手ぬぐいを川で濡らし頬を冷やす。
日は既に傾き始めていた。
話を聞いた湛快は望美の想像とは違って、ヒノエと同様の意見を述べた。

「それは、湛増も怒って当然だな。オレだって怒るさ」

「何故です?」

「神子の時ならいざ知らず、今の姫さんは剣を持たないただの女の子だ」

「あっ」

望美は今気がついたと声を漏らした。

「正義感に燃えるのはいい。でも、時と場合による。今の姫さんは戦の時とは違う。
守る側ではなく守られる側だ。湛増はそれを自覚して欲しいと思ったんじゃねぇかな」

「・・・」

「それと、残される側の気持ちって分かるか?」

「えっ?」

「もし姫さんに何かあったとき、残された湛増の気持ちを考えたことがあるかってことだ」

望美は愕然とした。
自分は誰より残される者の気持ちを知っていたはずなのに、
自分がいなくなって残される者の気持ちは考えたことがなかった。
自分が決めたことが出来れば、たとえ命を落としてもいいとあの時思ってしまった。
だからヒノエは言ったのだ『命を粗末にするな』と。

「あいつは姫さんに会うまで特定の女と付き合ったことなんてなかった。
湛増が姫さんの噂聞いて京まで追っかけていった時、どうせすぐ飽きて帰って来るんだと思ってた。
だが、あいつは熊野に姫さんを連れて帰ってきて、自分の女は姫さん一人でいいと言い切ったんだ。
そこまで愛せる人に出会って、オレはホントよかったって思ってるよ。
でも、一つに固執するとそれを失った時の負担はとてもでけぇものになる。
だから、姫さん。あいつのために命大切にしてくれよ」

そう言って湛快は優しく微笑んだ。

「・・・うっ」

望美は自分を抱きしめた。
瞳からは涙がポロポロと流れている。
なんて自分は愚かだったのだろう。
気持ちばかり先走って、ヒノエの気持ちなど考えもしなかった。

「泣いてるお嬢さんを慰めて票を得るいい機会だが、オレにはその涙は拭えねぇな。
ほら、適任が来たみたいだぜ」

湛快が振り向くのにつられて望美も振り返った。
視線の先にはヒノエが立っていた。
なかなか帰ってこない望美を心配して探しに来たのだろう。
湛快は「よっこいせ」と声を出して腰を上げると、すれ違いざまにヒノエの頭をガシガシと掻き毟った。

「感情に流されるなんざ、まだまだ青いねぇ」

「るせぇよ」

「だが、これ以上姫さんに手ぇ挙げるなよ。次やったらオレが許さねぇからな」

少しだけ声のトーンを下げて言った。
元熊野別当の威厳は未だに健在である。

「じゃあな、あとは仲良くやんな」

湛快はヒノエの返事をまたずにその場を後にした。
ヒノエが望美の元へ歩き出す。
望美は立ち上がってそれを待った。
しかし、まっすぐヒノエを見ることが出来ない。
やや俯き加減の視界にヒノエの足が入る。
ヒノエは手を伸ばすと望美の頬に触れた。
先ほどヒノエが叩いた頬だ。
親指で頬を撫でる。
少しだけ腫れて熱を持つ頬が痛々しい。
望美はようやくヒノエの顔を見た。
ヒノエはとても悲しそうな表情をしていた。
その表所を見て、改めて望美は自分のした過ちの大きさに気づいた。

「ヒノエくん、私・・・」

「ごめんな、望美。ぶったりして」

ヒノエは本当に申し訳なさそうな顔をして誤った。
望美はブンブンと頭を振った。

「ううん。ヒノエくんは悪くない。私がいけなかったの。ヒノエくんの気持ち、考えなかったから」

望美はヒノエの手に自分の手を添えた。
そこで初めて気がついた。
ヒノエの腕に見覚えのない包帯が巻かれていることに。

「ヒノエくん、これ」

望美はよく見えるように、ヒノエの手を前に持ってきた。
手に巻かれた包帯には僅かに血が滲んでいる。
この手はさっきヒノエが望美を叩いた方の手だった。

「手を、傷付けたの?私をぶったから?」

ヒノエは何も言わなかった。
望美の目からはまた涙が流れ出した。

「本当にごめんなさい」

望美は軽くヒノエの手を握り締めた。

「もう二度とお前を叩いたりしない。嫌いだなんて言ったのも嘘だ」

「うん。わかってるよ」

「望美、オレはね、望美と二人で熊野を守っていきたいんだ。
だから、望美が熊野の人を命を顧みず助けようと思うのはとても嬉しく思うよ」

「うん」

「でも、お前の夫としてのオレは、ただお前を失いたくないんだ。
お前がいなくなったらオレが壊れちまう。
オレがオレでいるためにお前が必要なんだ」

ヒノエは望美を抱きしめた。
強く、強く、ヒノエの腕に力がこもる。
望美もヒノエを抱きしめた。

「お願いだから、オレを置いて逝かないで。刀を振り下ろされたあの時、
お前がいなくなってしまうと考えたら生きた心地がしなかった」

「ごめん、ごめんね。もう絶対無茶なことはしない。ヒノエくんを置いてなんか逝かないよ」

望美も抱きしめる腕に力を込めた。
ヒノエは望美の目じりに唇を寄せると、溢れる涙を掬い取った。
そして、そっと望美の唇に自分の唇を押し付ける。
それは触れ合うだけのものから、やがてより深いものへと変わっていく。
辺りは既に薄暗く、薄い闇が二人を覆い隠していた。

「ん・・」

「望美」

ヒノエは近くの木に望美の背中を預け口付けを繰り返した。

「感じさせて、お前の鼓動を」

ヒノエの唇が頬、首筋、鎖骨へと滑っていく。
早く一つになりたい。
そして、この不安を拭い去りたい。
そんな思いが二人の快楽をより敏感なものにしていた。

「はぁ・・・ん」

僅かな動きで甘い声を出す望美。
その反応がヒノエを熱くさせる。

「愛してる、望美・・・」

お互いの発する熱こそ生きている証。
互いの存在を確認しあうように二人は体を重ね、求め合った。




<了>



ヒノエに望美を叩かせるか最後まで悩んでました。
でも、そうやって追い込まれていくヒノエも書きたい!と思ったので、思い切って書いちゃいました。
いたわるように優しくひと撫で。これでフォローしたつもりです。
それにしても最初の揉め事は「なんだこれ!」と叫びたくなるほどベタ。
まぁ、メインはそこじゃないからということで軽く流しっちゃってください。
そうそう。今回初湛快さんです。
今までヒノエとの絡みは弁慶が主だったので、たまには別の人を出そうよと思いお父様を出してみました。
でも、望美の呼び方どうだったっけ?って感じで、嬢ちゃんか姫さんで悩んでたのですが、
始めの方で嬢ちゃんは使ってしまったので、結局姫さんになりました。

それでは、3535hitを踏んでくださったかりゅん様に
葉月からの心からの感謝と愛を込めて・・・。