巫山雲雨




「望美、もっと早く走れ!」

突然降り出した雨は、シトシトと降る小雨からより強い雨へと変わり始めていた。
買い出しに出ていた望美とヒノエは雨を避けるため、道端の大きな木の下に逃げ込もうと走っていた。
ようやく手ごろの木の下に入り込むと、わずかに着物が濡れている。
少しでも水分を取ろうと、袖を叩きながら二人は依然として雨の止まない空を見上げた。
大雨ほどはないものの傘なしでは出歩けないほどの雨だ。
ヒノエはやれやれと木の幹に腰を下ろした。

「夕方まではもつと思ったんだけど、急に降られちまったな。望美、寒くはないかい?」

同じように隣に座り込む望美に声を掛ける。

「うん。大丈夫だよ。思ったほど濡れてないし」

そう返事を返すそばから、望美はクシュンとくしゃみをした。

「あれ?」

濡れた着物は容赦なく体温を奪う。
予想外のくしゃみに望美は小首を傾げた。

「嘘はいけないよ、姫君」

かわいらしい表情とくしゃみにヒノエは笑みを浮かべると、自分が着ていた上着を望美の肩に掛けてやった。
しかし、望美はそれをズイッとヒノエに突き返した。

「ダメ。ヒノエくんだって濡れてるんだから、風邪ひいちゃうよ」

(それはこっちの台詞なんだけどね)

ヒノエは望美と上着を見比べた。
さて、どうするべきか。
ヒノエは一瞬思案する。

「じゃあ、こうしよう」

そう言ってヒノエは上着を羽織ると、次に望美を後ろから抱きしめた。

「ヒノエくん!?」

「ふふっ、こうすれば二人とも暖かいだろ。体温を取り戻すには人肌が一番って言うしね」

「でも、恥ずかしいよ」

望美はヒノエの腕から逃れようと身をよじった。
だが、ヒノエがそれを許すはずもない。
後姿でも望美が顔を赤くしているのがヒノエは手に取るように分かった。

(こんな風に拒まれると、ちょっと意地悪したくなっちゃうね)

嫌なわけではない。ただ恥ずかしいだけという望美の行動に、ついついいつもの悪い癖が出てしまう。

(それに・・・)

触れ合う体から伝わるわずかな震えにヒノエは気付いていた。
このままでは望美が風邪を引いてしまう。
それは何としても避けたかった。
ヒノエは望美の耳元に唇を寄せると、そっと囁いた。

「ねぇ、望美。今の状態が不満なら、直に肌で触れ合ってみる?オレはそれでもかまわないけど」

最後にチュッと耳に口付けて、その意志行動でも示してみる。
望美は「ひゃあっ」と声を挙げた。

「いいっ!今のままでいいです!」

「そう?それは残念」

余裕のヒノエに望美はからかわれてると気付き、ますます顔を赤くした。
同時に体温も上がってくる。
その熱が触れ合う腕からヒノエに伝わってくる。
とりあえずはこれで望美の体温は保たれるだろう。
ヒノエはホッと胸を撫で下ろした。
残念というのも本心だが、望美の体温を上げてやるというのが一番重要だったのだ。
しばらくすると望美も今の状況に落ち着いてきたのか、クスリと笑った。

「何?」

ヒノエが後ろから顔を覗き込む。

「ちょっと昔のこと思い出しちゃって」

よほど楽しい思い出なのか、望美の笑顔は絶えない。

「へぇ。望美の昔話、オレも聞いてみたいな」

促すヒノエに望美は話し始めた。

「小さい時にね、将臣くんと譲くんと遊んでいた時のことなんだけど、
今日みたいに突然雨に降られたことがあったんだ。
その時は木じゃなくて公園の遊具の下で雨宿りしたんだけど、
私がくしゃみをしたら二人とも上着を差し出してくれて。
でも、どっちが上着を譲るかで喧嘩になっちゃってね。
二人がずっと言い争ってるから、とうとう私が泣き出しちゃったんだ。
そしたら、二人とも大慌てで仲直りしちゃって、私を慰めてくれたなぁ」

その時の二人の慌てっぷりを思い出して、また望美はクスクスと笑った。

「結局は三人で上着を羽織って、雨宿りをしたんだ。
三人集まっているとね、とても暖かいの。
でもね、私は上着とか体温なんかより、二人の優しさの方が暖かかったな」

今はここにいない幼馴染のことを思い出す。
この時空ではない元の世界での生活。
それを話す望美の瞳は何処か遠くを見ているようで、ヒノエは寂しさを感じた。
そんな望美を引き止めたくて、ヒノエは抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

「ヒノエくん?」

黙り込むヒノエに望美は振り返って声を掛ける。
ヒノエは何でもないとばかりに取り繕った。

「ホントにお前たちは仲がいいね」

「うん。三人きりの幼馴染だもん」

望美はにっこりと笑った。
その表情がより一層ヒノエに疎外感を与える。

「でもね、今ここにあの二人はいないよ」

ヒノエの言葉に陽だまりのような笑顔に少しだけ陰りが入る。
そんな顔をさせたいわけではないのに・・・。
自分の独占欲の強さに嫌気が差す。
でも、吐き出した想いは止まらない。

「今、ここにいるのはオレとお前だけ。お前のことを隣で暖めてあげてるのは、将臣でも譲でもない、オレだよ」

「ヒノエくん?」

「オレはこれからも、こうしてお前を暖めて、守っていきたいんだ」

ヒノエは望美を自分に向かせると、正面から望美を抱きしめた。
いつもと違う冷静さを欠いたヒノエに望美は困惑した。

「不安・・・なの?」

恐る恐るヒノエに問う。
『不安』
そう言われて、ヒノエは初めて自分の心の乱れの原因を理解した。
ヒノエは不安だったのだ。
望美を出会って好きになったときから、帝を置いて月に帰ったかぐや姫のように、
いつか望美も自分を置いて己の世界に帰ってしまうのではないかと。

「そう、かもしれない」

弱々しく呟くヒノエに、望美はどうしようもない愛しさを感じた。
ヒノエの背中に腕を回し、そっと包み込む。

「私がヒノエくんを置いて何処かへ行っちゃうわけないでしょ。
私だって、ずっとヒノエくんの隣で守っていきたいんだから」

その言葉にヒノエは溢れる感情を押し戻すように瞳を閉じて、望美の肩に顔を埋めた。

「望美、今のすげぇ殺し文句」

「えっ?私そんな事言った?」

気づいてないのが恐ろしい。
自分はずっとこの天然に振り回されていくんだろうなとヒノエは確信した。

「ねぇ、口付けていい?」

顔を上げて望美の瞳をまっすぐに見つめる。
口付けという言葉に望美は頬を赤らめた。

「いつもはそんな事言わないじゃない。勝手にしてくるくせに」

改めて言われるととても恥ずかしい。

「それに、誰かに見られたら」

屋外というのも望美の拒む理由だ。

「今、すごくしたい気分なんだ。大丈夫。誰もこんな雨の中で歩いたりしないさ。
もし誰かが通っても、雨の衣が俺たちを隠してくれる」

望美は恥ずかしさを取るか、ヒノエを取るか、しばらく考えた後コクンと頷いた。
了解を得たヒノエは望美に顔を近づける。
距離が狭まるにつれてゆっくりと瞼を閉じていく。

「愛してるよ、望美。どの世界の誰よりも」

口付けを交わす二人を祝福するように、雨はやがて止み、空には虹が架かっていた。



<了>



ちょっとばかり中途半端になってしまったでしょうか?
この続きはご想像におまかせ。
私としては翌日二人とも風邪引いたに一票。

おまけとして、

翌日の朝。
九「どうしたんだ、あの二人は。そろって風邪なんて」
朔「昨日、濡れたまま雨宿りしたそうよ」
譲「雨宿りをしたのになんで風邪ひくんだ?」
将「そりゃあ、アレだろうよ。なぁ?」
弁「フフッ。昨日のヒノエの行動が目に映るようです。大方、人肌で暖めあおうなどと言ったのでしょう」
敦「なっ///」
リ「ありえないことではないな」
景「そ、それで風邪ひいちゃったわけ?」
弁「彼にはお仕置きが必要ですね」
将「そうだな」
九「当然だ!///」
譲「それで、どうするんですか?」
弁「良薬口に苦し。薬師の僕に出来ないことなどありませんよ」
怪しげに微笑む弁慶。彼を怒らせてはいけない。
その場の全員がそう心に誓った。

ってな感じ?

今回のタイトル「巫山雲雨(ふざんうんう)」
意味は「男女の情愛が深いことのたとえ。また、男女の情交のたとえ」らしいです。
ラストの先を想像しやすいタイトルにしてみました。
ホントはもう一つ考えていたのですが、こちらはまたの機会に取っとこうと思います。

それでは500hitを踏んでくださった彩香様に
葉月から心からの感謝と愛をこめて・・・。