君のため秘め事




朝、部屋にはわずかに顔を出した太陽の光が差し込み、長かった夜の闇から少しずつ昼の世界へと誘っていく。
まだ薄暗い部屋の中、ヒノエは隣で静かに寝息をたてて眠る望美を愛おしそうに眺めていた。
そっと耳の後ろから指を刺しいれ、長い髪を梳く。
すると、サラサラした髪は指の間からこぼれるように落ちていき、空気に乗った数本が望美の顔に落ちた。
ヒノエはそれを掃うために、望美の頬に自分の手をやった。
掃いながらヒノエの手は、頬から顎、首、そして肩へとむき出しになった肌を
まるで壊れ物を扱うように愛撫していく。

「う・・・ん」

無意識のうちに反応して望美が甘い声を上げる。
わずかな動きで反応を示す望美。
夜明け間近であるこの時間、望美の眠りは大分浅くなっているようだ。
悪戯心をそそられたヒノエは、望美の首筋に唇を当てた。
望美の白い肌に赤い花が浮かび上がる。
ピクリと望美の体が軽く痙攣するのが、触れた唇から伝わる。

「・・・ん。・・・もっとぉ」

唇の傍にあるヒノエの耳に、吐息と共に望美の囁きが届いた。

(ふふっ、寝ている望美は随分素直だね。どんな夢を見ているのかな?)

ヒノエは笑みを浮かべた。
見ると望美の唇はまるで誘うかのようにわずかに開いている。
ヒノエは誘われるがままに、今度は唇に口付けを落とすべく顔を近づけた。

「・・・・さん」

望美の言葉に、あとわずかというところでヒノエの動きが止まる。

「弁慶・・・さん」

はっきりと名前が聞こえたところで、ヒノエはバッと体を起こした。
眉根を寄せて、望美の口元を見やる。

「何・・・だって?」

信じられないと言うようにヒノエは呟いた。
しかも、よりにもよって弁慶である。
当の望美は現実で起きている事など露知らず、寝返りを打って眠り続けている。

(オレが望美のコトだけ考えているときに、他の野郎の名を呼ぶなんて)

それも弁慶。
ヒノエの脳裏にあの食えない叔父の顔が浮かぶ。
夢の中のことなので望美にとっては不可抗力なのだが、そんなことは今のヒノエには関係なかった。
落ち着かせるようにヒノエは大きく深呼吸をした。
そして、最後にもう一度息を吸い込むと、望美を弁慶の悪夢から覚まさせるべく大きな声で叫んだ。

「望美!」

ビクッと痙攣したかと想うと、望美はすぐさま起き上がった。

「何!何事!?」

きょろきょろと辺りを見回す。
やがて、冷ややかに見つめるヒノエと目が合った。

「おはようヒノエくん。今、呼んだりした?」

ヒノエはそれには答えず、単刀直入に聞いた。

「望美、今どんな夢見てた?」

「夢?」

あまりに突然の質問に、望美は記憶を搾り出すように考え込んだが、結局は無理だった。
夢の記憶は掌から水が流れるように頭から抜けていく。

「ダメ、思い出せない」

ふるふると望美は頭を振った。

「お前、弁慶の名を呼んでたぜ」

「私が弁慶さんを?」

望美は驚いたような顔をしたが、実は弁慶が夢に出てくる心当たりがないわけではなかった。

「弁慶は今ちょうど熊野に帰ってきているし、もしかして何かあった?」

するどいヒノエの質問に望美は慌てて否定した。

「な、何もないよ。本当に」

ヒノエはまだ信じてないという顔をしていたが、やがて「そっか」と呟くと、部屋から出て行った。
そして、朝餉から外出するにいたるまで一言もしゃべらなかった。
見送りに出た望美は、怒っているなと実感しながらも事の真実を話さなかった。

(弁慶さんの名前を呼んでいた・・・か。もしかしなくてもアレが原因だよね)

望美にはヒノエには内緒である秘密があった。
それが今日の夢に関連して出てきたに違いないと予想できた。

「望美様」

一緒に見送りに出た女房の一人が望美に声を掛けた。

「今日も弁慶様がいらっしゃるのですか」

「うん。来たらいつものように離れの方にお通ししといてね」

望美の明るい声に、女房は「はい」とただ一言頷いた。



この日、ヒノエは予定よりも早く帰宅した。
というのも、今朝方の望美の寝言が耳から離れず、結果全く仕事にならなかったからだ。
ヒノエの様子を見た熊野水軍の男たちは、

「喧嘩をしたならさっさと帰って、謝ってきてください」

「そうですよ。そんなんじゃ仕事になりませんよ」

と、口々に文句を言い、ヒノエを無理やり帰路につかせたのだ。
追い返された後も、だらだらと長い時間をかけて帰っていたのだが、
結局はいつもやり早めの帰宅となってしまったのだった。

「今、帰った」

玄関に入り履物を脱ごうとした時、ヒノエの目に見知らぬ草履が目に入った。
それも男物である。

「お帰りなさいませ。湛増様」

出迎えに出てきた女房にヒノエは問うた。

「誰か着ているのか?」

女房は出しっぱなしにされていた草履に目を留め、顔を引きつらせた。

「・・・はい、弁慶様がいらしております」

弁慶という名前にヒノエは表情を険しくした。

「それで、望美はどこにいる」

「あの、それが・・・その」

女房は言葉を濁し、落ち着きのないように視線を泳がせる。

「言え」

有無を言わせない鋭いヒノエの言葉に女房は慌てて頭を下げると、震える声で答えた。

「離れに。弁慶様と共におられます」

それを聞いたヒノエは履物を脱ぎ捨てると無言でその場を離れた。
女房は離れへと向かうヒノエに、ただただ頭を下げることしかできなかった。
ヒノエは最短の距離で離れへと向かった。
近づくにつれヒノエの不安と怒りと嫉妬はどんどん大きくなっていく。
やがて離れに着くと中に入るべく、戸の取っ手に手をかけた。
その時、わずかに開いていた隙間から中の声が漏れ聞こえてきた。

「・・・ん。すっごく気持ちいい」

「ふふ。望美さんは本当に感じやすいですね」

「あ・・・そこ」

聞いたヒノエの沸点は一気に最高潮にまで達した。
勢いよく戸を開け放つ。

「ヒノエくん!」

予定より早い帰宅に望美は驚きの声を上げた。
ヒノエは目に入った光景に愕然とした。
視線の先にあるのは、うつ伏せに寝転がる望美と望美の腰に手をやっている弁慶の姿。
見た瞬間、ヒノエはついにブチ切れた。

「べんけぇぇ―――っ」

ヒノエは怒りに任せて拳を振り上げた。
しかし弁慶はひょいとヒノエの拳をかわす。
続いて出てくる拳も軽々とかわした。
チッとヒノエは舌打ちする。
焦りすら見えるヒノエを一瞥して、弁慶はあざ笑うかのように笑った。

「平静を失った君の攻撃など、蠅を掃うかのように簡単ですね」

挑発とも取れる弁慶の言葉に、ヒノエはまたしても拳を振り上げる。

「ヒノエくん、やめて!」

望美はヒノエにしがみついた。
一瞬止まったヒノエの隙を突いて弁慶は開け放されていた戸口へと向かった。

「望美さん、ヒノエは少し誤解しているようです。後は教えた通りやれば大丈夫ですよ」

先ほどヒノエに向けた笑みとは全く異なった優しい笑みを浮かべて弁慶はそれだけ言うと、
さっそうと去っていった。

「待て!」

なおも追いかけようとするヒノエを望美は必死に押し留めた。

「お願い。やめて」

ぐっと着物を掴む望美の手に力が入る。
ヒノエは悔しさに唇を噛みしめ、望美に向き直ると腕を掴み乱暴に望美を押し倒した。
「きゃっ」と望美が呻いたが、ヒノエは間髪いれずその唇塞いだ。
感情を押し付けるだけの激しい口付けが交わされる。
息継ぎも困難な口付けに、望美は苦しくて涙が浮かんだ。
しかし、それ以上に苦しかったのは心だった。
ヒノエが何に怒り、こんなにも感情をあらわにするのか望美には分からなかった。
それを理解できない自分の心が、一番苦しかった。
しばらくしてヒノエが唇を離した。
互いの唇の間に荒い息が漏れる。

「望美、お前はオレのものだよな」

ヒノエは慎重に聞いた。
顔に浮かんでいる表情は怒りではなく、不安。
どこか寂しげで悲しげな表情を見て、ようやく望美はヒノエの感情を理解できた。
彼は嫉妬していたのだ。
始めは寝言からの些細なきっかけだったのかもしれない。
しかし、その後の望美の態度や先ほどの光景を見た後では、誤解を招くのも無理はなかった。

(隠していた私が悪いんだよね)

望美にはヒノエに対して秘密があった。
そのために熊野へ帰ってきた弁慶を邸に呼んでいたのだが、
ヒノエを喜ばせるための計画が逆にヒノエを苦しめてしまった。
望美はヒノエの頬に手を添えると、今度は自分から口付けた。
離れ際にそっと呟く。

「ごめんね」

そして、微笑んだ。

「私はヒノエくんのものだよ。ヒノエくんじゃなきゃ嫌だ」

ヒノエの表情から少しだけ不安の色が消える。
だが、全てが消えたわけではなかった。

「じゃあ何で弁慶と」

望美は一瞬躊躇したが、今回はそれが原因でこういう結果になったのだと思い直した。

「あのね、弁慶さんにマッサージを教えてもらってたの」

「まっさーじ?」

「そう。ヒノエくんいつもお仕事頑張ってくれてるでしょ。
だから体のつぼとか押してあげて、少しでも疲労回復に繋がればいいなと思って。
ホントはもう少し上手くなってから言いたかったんだけど」

秘密にしていてごめんね、と望美は言った。
それを聞いてヒノエは「はぁ〜」と深い溜息とともに脱力して頭を望美の肩に埋めた。

(よかった。弁慶とは何もないんだ)

今までの不安の変わりに、今度は安心感が広がっていく。
落ち着いて考えてみれば先ほど見た光景も望美、弁慶共に着物を着ていたし、
弁慶が触れていた腰はつぼを揉んでいたということが分かる。
分かってしまえば、しょうもないことだ。
ヒノエの顔に笑みが浮かぶ。
次第にそれは笑いへと変わっていく。
望美は肩に伝わる振動でヒノエが笑っていることに気づいた。

「ヒノエくん?」

突然どうしたのかと望美は心配になった。
やがてヒノエは声を出して笑い出した。
ますます心配になる望美。
ヒノエは顔を上げ、時間を掛けて笑いを抑えると、笑いすぎて涙が出てきた目尻を擦った。

「どうしたの?」

「いや、オレって本当に愛されてるなって思ってさ」

きょとんと望美は目を丸くした。

「それって、当たり前でしょ?」

今度はヒノエが目を丸くする番だった。
ヒノエが抱えていたどうしようもない不安を、どうして彼女はこうも簡単に吹き消してしまうのだろう。

「そうだよな。当たり前だよな」

ホントに彼女には叶わない。
ヒノエは再び声を上げて笑った。

「そうだ!望美、その『まっさーじ』ってやつやってよ」

ようやく笑いの収まったヒノエは望美にお願いした。
何で笑っているのかと分からないことが多かったが、
いつものヒノエに戻ったことに安堵し、望美は快く申し出を受けた。

「いいよ。まだ下手なんだけどね」

望美はヒノエを練習用に使っていた褥の上に仰向けにさせると、肩や腰を揉み解していった。

「うん、気持ちいい。望美上手いよ」

「ホント?よかった」

その後は二人ともしばらく無言のままで時を過ごした。
だが、言葉はなくとも消して重い空気ではなかった。
時は優しく過ぎていく。

「ヒノエくん、終わったよ」

全身をマッサージし終えた望身がヒノエに声を掛けた。
ヒノエは体を起こすと、手を伸ばして思いっきり伸びをした。

「ありがとう。ホント気持ちよかったよ」

お礼を言われて、満更でもなさそうに望美は微笑んだ。

「さて、次はオレの番かな」

「え?」

予想外のヒノエの言葉に、望美は首を傾げた。

「オレだけ気持ちいい思いするのは悪いだろ」

気がつけば、今度は望美が褥の上に寝ていて、さっきとはまるで体制が逆になっている。

「望美のイイトコのつぼは全部知ってるからね。例えばココとか」

ヒノエは着物の上から望美の豊かな膨らみに触れた。

「・・・あっ」

望美の口から甘い喘ぎ声が漏れる。

「ね?これ以上ないってくらい気持ちよくさせてやるよ」

「それって、なんか意味が違う気がする」

望美は抗議したが、あえなく却下された。

「似たようなものだろ。それに、オレに秘め事していたお仕置きもしなきゃいけないしね」

二ッとヒノエは意地悪そうに片方だけ唇を吊り上げた。
その言葉に望美はギクリと体を強張らせ、何か言おうと口を開きかけたが、
ヒノエはそれ以上言葉を発しないように望美に優しく口付けを落とした。



翌朝、例の離れでは望美の腰を揉んでいるヒノエの姿があった。

「ヒノエくんのバカ。これじゃ一日中動けないじゃない」

「悪かったって言ってるだろ。こうしてちゃんとマッサージもしてやってるし」

完璧にマッサージという言葉をマスターしたヒノエは、嘆く望美をなだめた。
昨夜、望美のマッサージのおかげで心も体も疲労回復したヒノエは、
調子に乗ってちょっと頑張りすぎたらしい。
おかげで望美は腰を痛め、その責任でヒノエが揉み解してやっているのだ。

「もう、何のためにマッサージしてあげたかわからないよ」

望美はさらに文句を言ったが、ヒノエはそれをさらっと流した。

「もちろんアレのためだろ」

アレという言葉に顔を真っ赤にして望美は枕を投げつけた。



<了>



今回は「望美の寝言に出てきた八葉にヤキモチを妬く」というのが依頼だったのですが、
ヤキモチなんて可愛いものではなく、嫉妬になってしまいました。
ついでに、本当はチモで考えたかったのですが、今頭の中ヒノエ一色でして、結局ヒノエに。
そんなわけで、相手役も定番の定番になってしまいました。
でも、甘ーいものにはしたつもりです(ここで挽回!)
気に入ってくれると嬉しいです。

1555hitを踏んでくださったかりゅん様に
葉月から心からの感謝と愛をこめて・・・。