ヒノエ猫見聞録




朝、ヒノエは目を覚ました。
重いまぶたを開けると、目に映るのは隣でスヤスヤ眠る可愛い望美の寝顔。
ではなく、白く丸い物体。

「!」

瞬時に覚醒したヒノエは、ガバッと跳ね起きた。
その動きが伝わってしまったのか、望美もまだ眠い目を擦りながら起きだす。

「おはよー」

んーと伸びをしていると、望美はあることに気が付いた。

「あれ?桃花ここで寝ちゃったんだ」

望美は白い物体を見やった。
ヒノエと望美の顔の間にいた白く丸い物体は、先日ヒノエが拾ってきた子猫だった。
名を桃花という。
ヒノエと桃花が登った木が桃の木だったからという、なんとも安直な理由で望美つけたものだ。
普段は部屋の隅に置いてある桃花専用の寝床に寝かせているのだが、
いつの間にか抜け出してきたようである。
愛おしそうに子猫を見つめる望美に対して、ヒノエは正反対の視線を子猫に送った。

(そこまでオレと望美の邪魔をしたいのか)

これまで幾度となく二人の間に割り込まれ、邪魔をされてきた。
望美のヒノエに対する愛情は変わってないと分かっているものの、
子猫をかまうのはやっぱり面白くはない。
望美に撫でられている桃花を半分恨みがましげに、そして半分羨ましそうに見つめた。

「そうだ。ヒノエくん、猫の寝る位置で人間に対しての信頼度が分かるって知ってる?」

「いや、知らないな」

桃花から視線を望美に戻してヒノエは答えた。
そういうヒノエに、望美は得意そうに言った。

「あのね、布団の上で寝ないのは信頼度30パー・・・じゃなくて、3割。
布団の上の足元辺りにいるのが5割。顔を並べて寝るのが10割なんだよ」

だから、私たちはすっごく信頼されてるんだね、と言う望美に対し、
ヒノエは果たしてそうだろそうだろうかと首をひねった。

(こいつオレに尻向けてたぞ)

ヒノエは朝一番に見せられた光景を思い出す。
白い背景の中にポチッと浮かぶピンク色の点。
これが示すことは、望美に対して真逆の印象を持っていると示していると考えても過言ではないだろう。
つまり、桃花は全くヒノエのことを信頼していないということになる。

(足蹴以下の扱いじゃねぇか)

桃花は自分の通り道にヒノエがいようものならば、必ず通っていく。
ヒノエが座っていれば膝を、寝ていればお腹か背中をわざわざ踏んで歩くのだ。
自分にお尻を向けて寝られたとなると、馬鹿にされている以外の何でもない。

「でも、よかったぁ。ヒノエくんと桃花仲悪かったみたいだから。これでもう、仲良しだね」

「え?」

どこをどう見ればそう見えるのか。
ヒノエと桃花の縄張り争いを当の本人は全く気づいてないようである。

「これでもし二人きりになったとしても、もう大丈夫だよね」

ヒノエは子猫と二人きりになって逃がしてしまった前科がある。
望美はその時のことを言っているのだ。

「あ、あぁ。そう…だな」

ヒノエは心もとない返事をしたが、望美はそれに気づかなかった。

(こいつとまた二人きり?冗談じゃないね)

その時、ヒノエは内心こう思っていた。
それに気づいたのか、桃花も「こっちだって願い下げよ」とでも言うようにスッと目を細めた。


しかし、事はその日の夜に起きた。
望美が風邪を引いたのである。

「うぅ。どうしたんだろ、急に風邪ひくなんて。体は丈夫だと思ってたのに」

クシュっとくしゃみとして望美は鼻をすすった。

「今日は少し肌寒かったからね。季節の変わり目は風邪を引きやすいものだよ」

寝ている望美の傍らで、ヒノエは病のせいで弱気になる望美を慰めた。
ついでに望美の頭をそっと撫でてやる。
すると気持ちよさそうに望美は目を閉じた。
ヒノエの手が頭から額そして頬へと移動する。
熱があるせいか望美の頬は熱い。
次に口元へ手を移動させる。
つっと望美の唇を指先でなぞると望美の瞼がピクリと震えた。

「ヒノエくぅん」

少し鼻にかかった声が、男心をそそらせる。
ヒノエは逸る衝動をこらえて、努めて優しく答えた。

「何だい?お願い事なら何だって叶えてやるよ」

「ホント?だったら、今日は桃花と一緒に寝てあげて」

「え゛!?」

予想外のお願い事にヒノエは思わず本音の声を出してしまった。



「何でこんなことになったんだ?」

自室で褥の上に座ってヒノエ呟いた。
目線の先には、なんとも寂しそうな声で鳴きながら、
望美を探して部屋の中をうろついている桃花の姿がある。

「泣きたいのはオレのほうだっつーの」

ヒノエは溜息をついた。
というのも、今晩は一晩中望美の看護をしてやるつもりだったのだ。
弱った妻を看病するのは夫の務め。
そして、あわよくば・・・などと邪な計画を立てていたのだ。
しかし、頬を赤く染め潤んだ瞳でお願いされれば、ヒノエに否と言えるわけもない。
実際は熱のせいなのだが、そんなことはどうでもいい。
図らずもお願いをしたため、望美は今日はゆっくりと眠れることとなるだろう。

「しっかし、このオレがねぇ」

人間の女と一夜を共にしたことは数あれど、まさかメス猫と一夜を共にする日がこようとは。
ヒノエでなくても泣けてくる話である。

「あーもう、オレは寝る!」

誰に対して言ってるのか。
そもそも答えてくれる相手もいないのに、ずっと独り言を言っている時点でかなり虚しいものがある。
これ以上起きているとまた悶々と考え込んでしまいそうなので、
ヒノエはバサッと業と大きな音を立てて掛け物をかぶるとそのまま眠りについた。



次の日、ヒノエは機嫌が悪かった。

「ど、どうしたの?ヒノエくん」

朝一番に望美の元へ見舞いに来たヒノエに望美は尋ねた。
まだ、熱は下がっていないのだが、ヒノエの余りのテンションの低さに聞かずにはいられなかったのだ。

「どうしたも、こうしたも」

ヒノエは今朝の出来事を望美に事細かに伝えた。



朝、ヒノエが目を覚ますと、不意に望美が言った猫の信頼度の話が頭に浮かんだ。
昨日は望美がいたが、自分一人のときはどうだろうか。
ふつふつと沸いて出てくる好奇心に、ヒノエはゆっくり瞼を開けた。
しかし、昨日のように白く丸い物体はない。

(まぁ、しょうがないよな。望美もいないし)

と、今度は足で褥の上を探ってみる。
どこにも子猫の重みは感じられない。

(せめて、自分の寝床ぐらいには)

確認するため、ヒノエは体を起こした。
そして、ヒノエの見たものとは、

「・・・ヤロウ」

確かに、寝床で寝ていることは寝ているのだが、問題はその位置にあった。
桃花は昨夜頭の上に置いてやったはずの寝床を部屋の隅に移動させて寝ていたのだ。

(そこまでするかよ)

むしろそこまでやってのけたことに感心するものの、ヒノエは怒りを通り越して虚しさを覚えた。



「・・・・」

ヒノエの話を聞き終えた望美はすぐには言葉が出てこなかった。
そこまで二人の仲が悪かったとは思っても見なかったのだ。
話を聞くと、どうやらヒノエのほうには少しは歩み寄ろうと言う気がありそうだ。
何せ、普段は足元に置いてある子猫の寝床を頭の上に置くくらいである。
となると、問題は子猫の方か。
何か仲良くなるきっかけができないものかと望美は思案したが、
熱のある状態ではまともな考えが浮かんでくるはずもなく、望美は断念した。

「なんか、ごめんね」

とりあえず、望美は謝ることにした。

「なんで望美が謝るのさ。オレのことは心配するな。
それじゃ、仕事に言ってくるから、ちゃんと寝てるんだぞ」

まるで子供を説得するかのように言うヒノエに、望美はクスリと笑うと素直に「はーい」と返事を返した。
そして、軽く口付けを交わすと、名残惜しそうに繋いでいた手を離しヒノエは部屋を後にした。



その日の仕事が終わり、ヒノエは帰路についていた。

(今日もアイツと一緒に寝るのか)

今朝の望美の様子を見ると、大分よくなっているように見えるものの、もう少し安静が必要なようである。
仕方ないと分かっているが、どうやらヒノエには今日の桃花の態度がそうとうショックなようであった。
家の玄関を通ると、裏庭から猫の鳴く声が聞こえた。
それも一匹ではない。
声からするに猫同士で喧嘩をしているようである。
ヒノエは一瞬放っとくべきかどうか考えたが、結局様子を見に行くことにした。
物陰から覗くと、体の大きなキジトラが見えた。
そして少し視線をずらすと、白い小さな子猫が見える。
桃花である。

(何してるんだ、あいつは)

ヒノエにはもう一匹のキジトラにも見覚えがあった。
よく邸に魚のおこぼれを貰いに来る猫である。
熊野水軍に所属しているヒノエの家にはたくさんの新鮮な魚がある。
それを目当てにやってくるのだ。
ここ最近見かけていないと思ったが、久々に来てみたら見知らぬ猫が居座っていたので、
縄張りを取られたと思い喧嘩になったのだろう。
ヒノエは助けに出るか否か迷ったが、所詮は猫同士の喧嘩である、
人間の出る幕ではないとヒノエはしばらく様子を見ていることにした。
にゃーにゃーと声を発している両者は、少しも視線を外さない。
間合いを少しずつ詰めているが、いきなり桃花は少しだけ高い岩の上に飛び乗った。

(へぇ、やるじゃん)

ヒノエは感心した。
喧嘩をする基本として、まずは相手より優位な状況を作ることが重要である。
相手より高い位置にいれば、防御も攻撃もしやすい。
この行動は桃花を優位な立場に取らせるのに十分であった。
しかし、体格差の問題がある。
桃花より4倍は大きいキジトラは威嚇によってあっさり桃花を岩から降ろすことに成功し、
結局は元の平地に戻ってきてしまった。
一度相手よりも自分が有利だと感じたキジトラは、桃花に対して猛攻撃を開始する。
爪で引っかこうとしたり、首の辺りを咬もうとしたり。
すっかりビビッてしまった桃花は、この猫に対して何もできない。
相手の気がすむまでされるがままだ。
やられっぱなしの桃花を見て、ヒノエはとうとう身を乗り出した。
自分が嫌われていようが、飼い猫は飼い猫である。
桃花が傷つけば望美が無くし、第一こんな一方的な喧嘩は気に入らない。
気配を消してキジトラの背後に回る。

「こらっ、ウチの猫をいじめるのはやめてもらおうか」

キジトラは桃花に集中していたため、急に現れたヒノエの存在に全く気づいていなかったらしい。
いきなり現れた人間を見て驚いたのか、桃花を置いて一目散に壁を越え逃げていった。
それを見届けると、ヒノエはふんっと鼻を鳴らした。
それから、桃花を見下ろす。
桃花はじっとヒノエを見上げていた。
しばらくの間お互いの視線が交差する。
ヒノエはフッと微笑むと、桃花を抱き上げた。
珍しく、桃花も大人しい。

「どこも、怪我してないか?」

抱えて体を点検する。
幸い、目立った外傷はないようだ。

「喧嘩には負けたけど、ちょっとだけ見直したよ」

地面に下ろし、頭を軽くポンポンと叩いた。
桃花は相変わらずヒノエを見つめていたが、尻尾がそれに答えるようにパタパタと左右に振られていた。



次の日の早朝、まだ空も白み始めたばかりの時刻、望美はヒノエの寝ている部屋へと足を運んでいた。
二日間ゆっくりと寝ていたせいか、いつもよりずっと早く起きてしまったのだ。
このまま二度寝というのもよかったのだが、昨日のヒノエの話を思い出し、
どうにも気になって様子を見に行くことにしたのだ。
そぉっと音をたてないように戸を開ける。
わずかに開いた隙間から中を覗き込むと、まずはヒノエの姿が目に入った。
掛け物に包まってぐっすりと寝ているようである。
次に桃花の姿を探す。
ヒノエの話からすると、部屋の隅に寝床を移動して寝ているようであるが・・・。
望美は子猫の姿を見つけると、クスリと笑った。
桃花はヒノエの足元で寝ていたのだ。
隅っこの方ではあるが、とりあえずは一緒に寝ている。
何があったかは知らないが、桃花のヒノエへの信頼度は50%とまではいかないまでも
大分上がったようである。
同じ褥の上で丸まって眠るヒノエと桃花。
望美には大きな猫と小さな猫が寄り添って眠っているように見えた。
再び音をたてないように戸を閉めると、
望美は幸せな気持ちで今度こそ二度寝するべく自室へ戻っていった。



望美が部屋を去って数刻経ったころ、ヒノエは目を覚ました。
思っていたとおり、頭の横にも、褥の上にも桃花の姿はない。
予想したことなので、今回は昨日のようにショックは受けなかった。
ではどこにいるのかというと、やっぱり部屋の隅に寝床を寄せてその中で寝ていた。
どうやらヒノエが起きる前に移動したようである。
桃花のヒノエの株は少し上がったものの、それを知られたくないらしい。
夜の間は共に寝ていたなど、全く知らないヒノエはその光景についに激怒した。

「昨日助けてやった恩も忘れやがって!」

ごそごそと褥から這い出すと、桃花に近寄り乱暴に(もちろん手加減はして)撫でた。
無理やり眠りから覚まされた桃花は寝ぼけているのか、ヒノエの手を思いっきり噛んだ。

「痛っ!」

思わず手を引っ込めると、手の甲にはくっきりと猫の歯形が残っていた。
ヒノエが睨みつけても、桃花は何事も無かったかのように欠伸を一つすると
体制を変えて再び眠りについた。

朝食のとき、すっかり回復した望美は見覚えのない傷がヒノエについていることに気づいたが、
ヒノエに問いただしても、ヒノエは決して答えなかった。

「そんなことよりさ」

話題を逸らそうとしているのはバレバレだか、
ヒノエは絶対に口を割らないだろうと思った望美は諦めてそれに応じた。

「何?」

「オレ、ちゃんと桃花の面倒見てただろ」

「? まぁ、そうだね」

いきなり何を言うのかと疑問に思ったが、
ヒノエがちゃんと桃花を見ていてくれたことは確かなので、望美は頷いた。

「だからさ、ご褒美ちょうだい」

「ご褒美?」

にっこり笑いながら近づいてくるヒノエに、望美は後ずさった。
ここまでくれば先は見えている。

「まさか自分の妻に物をねだろうなんて思ってないよ。そうだな。ご褒美は望美自身ってことで」

(それって全然ご褒美じゃないよ)

ズルズルと逃げているうちに望美の背中が壁にぶつかった。
ついでにヒノエが両手を壁について望美を囲んでしまったため、逃げ口はもうない。

「二日間も我慢したんだ。そう簡単には逃がさないぜ」

「で、でも、まだ朝だし。病み上がりだし」

尚も抵抗する望美の口をヒノエは口付けで塞いだ。

「ん・・・っ」

「無理だよ。もう止めるなんてできない」

ヒノエの熱い口付けに望美は目眩を覚えた。
まるで、風邪が再発したような熱が体に広がる。
ドクンと高鳴る鼓動。
二日間一人で寝ていて寂しかったのは自分も同じ。
望美はヒノエの首に腕を回し、口付けに答えた。

こうして今日も一日が始まった。
その日のヒノエは朝から上機嫌だったとか。



<了>



意外と長く続きモノです。ヒノ猫シリーズ第3弾!
今回は猫の眠る位置でわかる猫の信頼度について書いています。
ホントは上記の3つの他に、体の上で寝るというのもあったんですが、
120%という表記が分からなかったんです(泣)
12割で合ってるのかな?でも聞いたことがないよってことでやめました。
パーセンテージ使うのは論外だものね。あとからさらっと書いてますが。
ちなみにウチの猫は足元です。
お嬢様猫なので、人間は餌をくれる相手としか思ってません。

第3弾目にしてようやくこのssの目指すところが見えてきました。
そんなわけでヒノ猫シリーズ続きます。