恋路之闇・終章




あれから3日たった。
あの後望美は気を失い、どことも知れぬ邸につれて来られていた。
望美は部屋から外を眺めた。
外は豪雨と強風で、まるで嵐のようだった。

(そういえば、ヒノエくんがもうすぐ嵐になるとか言ってたな)

望美はぼんやりと考えた。
二人はどうしただろう。
毒を飲んだヒノエ。
最後に見たのは青白く、苦しそうな顔。
自分を見つめてくれる、燃え上がる炎のような瞳は硬く瞼に閉ざされていた。
弁慶がいるのだ。大丈夫だと信じたい。
でも・・・。
何度となく思い浮かぶ最悪の結末に、望美はまた何度目かの涙を浮かべた。
そして、それを否定するようにブンブンと首を振る。

(信じなきゃ!私の出来ることはそれだけ。そして、何とかしてここからでないと)

そう決心するものの、望美はこれまでの三日間を思い出し、頭を抱えた。
逃げ出そうと試みたことは何度もある。
しかし、周りは木々に囲まれ、ここがどこなのか全く検討がつかない。
さらに、浅葱の結界によって、逃げようとしても外に出ることすらできない。
結局はいつも失敗に終わってしまう。
そして、この香り。
部屋に充満している香りが、望美の思考の邪魔する。
部屋に漂う香が、望美の脳にまで進入し覆い隠しているようだ。
それでもまだ、望美の思考力は閉ざされてはいなった。

(不思議よね。こんなに凄い嵐なのに、部屋の中には全く雨も風も入ってこない)

望美は外を見つめた。
それが何を意味するのか。

「外など見て、また逃亡をお考えですか」

ふいに後から声がした。
だが、望美は驚かなかった。
今のように、気配を消して彼が入ってくることは初めてではなかったから。

「浅葱さん」

望美は入ってきたこの邸の主の名を呼んだ。
自分を手に入れるため、ヒノエや弁慶を陥れた張本人。
そして、要らなくなった仲間を切って捨てることをいとわない冷酷な人物。
望美はもうこの男を信用などしていなかった。

「もう諦めたらどうですか。ヒノエも既に死んでいることでしょう」

「ヒノエくんは死んでなんかいません!私を置いて死ぬはずないもの」

望美は即座に反論した。
浅葱は望美につかつかと歩み寄ると望美の顎をぐいっと上向かせた。

「あなた方の信頼という絆は、正直虫唾が走ります」

望美は何も言わず、浅葱をただ睨みつけた。
その時、どこからか張った氷を割るようなパキンという音がした。

「こ、これは・・・!」

反応したのは浅葱だった。
そして苦々しげに吐き捨てた。

「望美さん。どうやら助けが来たようですよ」

「えっ」

暫くして、

バタン

と大きな音を立てて外と内とを繋ぐ扉が開いた。
薄暗い部屋に雷の光で浮かび上がった影は二つ。

「捕らわれの姫君。助けに来たよ」

「大丈夫でしたか?」

望美はいきなり現れた救世主の名前を呼んだ。

「ヒノエくん!弁慶さん!」

望美は駆け寄ろうとしたが、浅葱によって腕を掴まれ動けない。
浅葱は望身を捕まえつつも、乱入者に言い放った。

「何故ここが分かった!」

「僕らは白龍の神子の八葉です。望美さんのいるところなら、どんなところでも分かります。
それに、陰陽師というのはあなただけではないのですよ。
この三日間で、こちらも体制を整えさせてもらいました」

陰陽師と聞いて望美はピンときた。

(景時さんも来てるんだ)

かつて共に戦った、源氏の戦奉行かつ陰陽師。
何より洗濯が好きという彼は、今は鎌倉にいるはずだった。

「あなたが陰陽師だと気づいて、景時を呼び寄せたんです」

ぐっと唇を噛むと、今度はヒノエに視線を移した。

「お前は何故生きている!」

明らかに体制が悪くなってきているのを覆い隠すように、浅葱は大声でヒノエを指して言った。
浅葱が熱くなっているのとは逆に、ヒノエは冷ややかに言ってのけた。

「別当職はいろいろと命を狙われることも多くてね。
こういうこともあろうかと、毒には常に慣らしてある。
それに、ウチには腕のいい薬師がいるんだ」

親指でくいっと弁慶を指す。

「おや、君からそんな言葉がもらえるとは思っていませんでしたよ。
ところで、景時ですが、今は外でもう一つの結界を解いてもらっているところですよ」

もう一つの結界。
これを聞いて浅葱は、気づかれない程度に唸った。

「あなたは香りを使って術を操る。
どうやら邸には風が入らないようにする結界張ってあるようですが、それが破かれるのも時間の問題ですね」

にっこりと弁慶が微笑む。
近くにいたヒノエはこれが笑顔の裏に腹黒い弁慶の本性を見て取った。
そして、ちょうど頃合を見計らったかのように、先ほどと同じようなパリンという音が鳴った。
それと同時に、部屋の中に強い雨風が張り込み、部屋の中に漂っていた甘い香りをさらっていった。
甘い香りがなくなると、望美の頭は今まで覆われていたベールがなくなるような、すっきりとした感覚を味わった。
望美はここに来てやっと甘い香りの正体が分かった。
いつもぼぅっとして思考がまとまらない時や気を失う時は、いつもこの香りが残っていた。
つまりこの甘い香りこそが彼の術の正体なのだと。

「さぁこれで、あなたの術は使えませんよ」

「ぐっ」

浅葱はドンッと望美を突き飛ばすと、腰に挿してあった刀をすらりと抜いた。

「私を術だけの男と見くびってもらっては困りますね」

そして、雄たけびとあげてヒノエと弁慶に向かっていった。

「うわっ、往生際わりぃな」

「ですが、彼が望美さんを手放したのは好都合です」

振りかざす刀を弁慶が薙刀で受け、ヒノエはその隙に望美の元へ走った。

「大丈夫かい?」

膝を突き、倒れた望美に手を貸す。
望美はヒノエの姿を確認すると、胸元を掴んで顔を押し付けた。

「望美!?」

「ヒノエくん、本物だよね?生きてるんだよね?」

望美は泣きながら、ヒノエの着物をぎゅっと掴んだ。
きっと不安だったのだろう。
別れた時はヒノエは酷い状態だったし、今までずっと一人で頑張ってきたのだ。
ヒノエはそっと抱きしめた。

「心配かけて堪忍な。もう大丈夫だ」

大丈夫が望美に掛けられているのか、ヒノエに掛けられているのか望美には分からない。
それでもヒノエのぬくもりを感じてやっと安心できたのか、顔を上げた。

「そこっ!無事を確かめ合ってるのはいいですが、こちらの加勢もしてください」

少し離れたところから弁慶が叫ぶ。
今まで浅葱を一人で相手していたのだ。

「忘れてた」

「絶対ワザとですね。後で酷い目に遭いますよ」

浅葱を相手にしながらも、憎まれ口を叩くのは忘れない。

「ヒノエくん、私も」

果敢にも一緒に戦おうと申し出る望美をヒノエはやんわりと止めた。

「望美は今丸腰だろ。いいから、姫君はここで高みの見物しときなよ」

確かに今自分が出て行っても邪魔になるだけかも知れない。
望美は大人しく待つことにした。
その様子を見て、ヒノエはフッと口元を緩める。

「オレの戦女神、勝利の加護を・・・」

そして、軽く望美に口付けた。

「ヒノエくん!」

「オレの勇姿、たっぷり見物しとけ」

方目を瞑って、大丈夫だと態度で示す。
顔を赤らめて怒る望美に手を振り、弁慶の加勢に向かった。
弁慶と浅葱はどちらも譲らぬ戦いをしていた。

「悪いな」

弁慶の隣に付くとヒノエはとりあえず謝罪の言葉を述べた。

「本当にそう思っているかは甚だ疑問ですが、今はそんなことを言ってる場合ではありません」

ヒノエは弁慶の言わんとしているところがすぐ分かった。
一太刀交わしただけでも分かる。
どうやら浅葱が術だけではないと言っていたのは嘘ではないようだ。
そうでなければ、弁慶がここまで苦戦するはずがない。
しかし、多勢に無勢。
一瞬の隙を狙って、ヒノエは浅葱を切りつけた。
浅葱の腕から赤い鮮血が滴り落ちる。
浅葱は傷口を押さえて数歩後ずさった。

「さぁ、観念しなよ。その方が身のためだぜ」

ヒノエが促す。
だか、浅葱は拒否した。

「誰がしますか」

浅葱は懐に手を入れると、そこから数枚の紙切れを取り出した。
どれも人型に切ってある。
それを弁慶とヒノエに向かって放る。
見る見るうちに紙の人型は実態を持ち、やがて戦装束の男になった。
ヒノエはチッと舌打ちし、新手の敵に立ち向かった。
元が紙なので、対して強くはない。
切りつけられた男は、倒れると同時に元の髪の人型に戻り、ひらひらと床に落ちる。
しかし、数が多い。
その隙に浅葱は姿を消した。

「今回は望美さんを諦めましょう。」

最後には浅葱の声だけが残されていた。

ゴゴゴッ

地響きが響いた。
主をなくした邸は左右に揺れだす。
上からは埃や塵が舞い落ち、揺れの凄さを物語っている。
ヒノエと弁慶は共に最後の一体を倒すと、崩れ行く邸から脱出するため駆け出した。

「望美、出るぞ!」

ヒノエは望美を抱きかかえ、急いで外に出る。
三人が外へ出たとたん、邸は全壊した。
後には邸の残骸と、砂埃が舞っているだけとなった。
三人はしばらくそれらを見つめていた。

「これからどうします?今からでも浅葱を追いますか」

弁慶がヒノエを見やる。
しかし、ヒノエはそれを拒否した。

「いや、景時に血痕の後を追わせてくれ。多分その先にヤツはいる」

「血痕など、血止めをしたらそれまでです。どこまで辿れるか」

「そう遠くにはいないさ、絶対にな」

ヒノエは崩れた残骸を見据えた。
弁慶は尚も何か言おうとしたが、ヒノエの有無を言わせない態度に口をつぐんだ。

「浅葱さんは、見つかるの?」

望美がぽつりと言った。
その瞳には未だ恐怖の色が残っている。

「あいつのことは忘れろ」

「でもっ・・・・!」

振り仰いで、望美は初めて気がついた。
ヒノエの顔は青白く、額には脂汗が浮かんでいる。

「ちょっと、大丈夫なの?」

「ん?ああ、だいじょ・・・ぶ」

言い終わる前にヒノエの体がグラリと揺れた。
それを慌てて弁慶が支える。
どうやら気を失ったようだった。

「心配は要りません。気を失ってるだけです。全く、無茶をするからですよ。
あれだけの毒を飲んで、よくここまで動けたものです」

弁慶は飽きれたように言った。

「どういうことですか」

「確かにヒノエは毒に耐性を持っていたので大事には至らなかったのですが、
それでも少しの毒が体に残ってしまったんです。本来ならまだ安静にしておかなければならないのですが、
気がついたら君を助けに行くと言って聞かなかったんですよ。
これでも、今日まで待てと言って、押し留めるのに苦労したんです」

そう弁慶は説明した。
本当は高熱が出たり、酷い吐き気があったりと大変だったのだが、その点は望美には伏せておく。

「なんで今日だったんですか」

「ヒノエが言っていたでしょう。嵐が来ると。
浅葱の術をやり過ごすには風で香りを飛ばすしか方法がなかった。
だから、風の強い日を選んだんです。それに景時を待つ必要もありました。
すみません。本当ならもっと早く助けに来たかったんですが」

その言葉に望美はふるふると首を振った。

「ごめんね、ヒノエくん。助けに来てくれてありがとう」

望美はヒノエの手をぎゅっと握った。




その日の夜。
未だ絶対安静のヒノエの寝室に、弁慶・景時の姿があった。

「ヒノエくんの言ったとおり、血痕を辿って行ったら浅葱の遺体を見つけたよ」

景時は捜索の報告をした。
弁慶がヒノエをつれて邸に帰った後、ヒノエに言われたとおり景時は血痕を辿った。
その先に浅葱がいたのだ。

「でも、何で分かったんだい」

「そうですね。僕もそれが知りたいです」

二人に問われて、ヒノエは答えた。

「武器の先に毒を塗っておいたんだ」

「なるほど、『毒を以って毒を制す』ですか」

「で、でもさ〜。殺すことはなかったんじゃないかな〜」

景時の発言にヒノエは下を向いた。

「仕方ありません。浅葱は僕でさえ手に負えない相手でした。生かしておくことは、大変危険です」

弁慶の言うとおり、浅葱はそんな甘い気持ちで相手できるほどの相手ではなかった。
それに、ヒノエは望美の前で浅葱を殺すことに抵抗があった。
だから、逃げた先で死ぬよう遅効性の毒を仕込んだ。

「でも、機会は与えた。あいつが大人しく降参してれば死ぬことはなかった」

ヒノエはあの時「身のためだ」と浅葱に言った。
それは嘘でも何でもない。
既に毒の刃に蝕まれている浅葱には必要な言葉だった。
ヒノエはもし浅葱が大人しく降参した場合、解毒剤を用意していたのだ。
しかし、浅葱は断った。

「彼は意志を貫いたんです。本望でしょう」

そう弁慶は締めくくった。
場に重い空気が流れる。

「さて、僕らはここらでお暇しましょう」

ワザと明るく声を出すと、弁慶は景時を連れて部屋を辞した。
その後すぐに望美がそろりと顔を出す。

「何してるんだい?こっちにおいでよ」

なかなか入ってこない望美にヒノエは手招きした。
それに応じておずおずと望美は入ってくる。
ヒノエがポンポンと自分の隣を叩いて示すと、望美はそこに座り込んだ。

「浮かない顔してどうしたんだい」

ヒノエは望美の顔を覗き込む。

「ごめんなさい」

望美は一言呟いた。

「私、浅葱さんのこと全然気づかなかった。もし気づいてたら、こんなことにはならなかったのに」

望美はずっとヒノエが毒を飲んだのは自分のせいだと気にしていたのだ。
目から涙が一筋零れ落ちる。
ヒノエは指先で優しく涙を拭ってやった。

「馬鹿だな。そんな事気にしてたのか。お前のせいじゃないよ」

ヒノエはぎゅっと望美を抱きしめた。

「でも・・・」

尚も言い張る望美にヒノエは妥協案を出した。

「じゃあさ、オレの言うこと聞いてよ。それで帳消し。いいだろ」

望美はそんなんじゃ足りないと思ったが、とりあえずは言うことを聞くことにした。

「いいよ。何でも言って」

「じゃ、早速」

ぐいっと腕を引かれたかと思うと、次の瞬間望美はヒノエに組み敷かれていた。

「ちょっとヒノエくん、この体勢は・・・」

「何でもするって言っただろ」

ニヤリとヒノエが笑う。
望美はその意図を正確に見て取った。

「でも、まだ病みあがりだし、そういうのはまた今度・・・」

「オレはそんなに柔じゃないよ」

ヒノエは望美の耳の後から指を差し入れ、すっと長い髪をすいた。
そのまま一房だけ自分の口元に持ってくる。

「愛してるよ、望美。絶対誰にも渡さない。お前はオレのものだよ」

そっと髪に口付け、視線はまっすぐ望美を捕らえる。
その様子を見て、望美の心臓が跳ねた。
いくら時を共に過ごしても、幾度となく体を重ねても、この鼓動は鳴り止むことを知らない。
けれど自分はこの男から離れなれないことを知っている。

「うん。私はヒノエくんのものだよ」

望美はヒノエの頬を両手で包んだ。
いつだって望美を捕らえることができるのはヒノエだけだ。
他の誰かなんてありえない。
いつだったかヒノエは言った。
『オレたち赤い糸で結ばれてるのかもしれないね』
それはなんとも甘く、心地のよい束縛。
そしてヒノエもまた同様に。

「望美、愛してる」

ヒノエはもう一度囁いた。
お互いの絡まった視線は距離を詰めるごとにゆっくりと閉じられ、唇が重なる。
やがてそれは深いものとなり、自然と身体も重なっていく。
訪れた夜の闇は、月明かりで照らされる二人の影を隠すように辺りを包んだ。



数日後、一通りの調べを終えて鎌倉へ帰る者を見送るため、全快したヒノエは邸の門まで出てきていた。
何となく、病だけではなく、心も身体も気分爽快!という感じに見えなくもない。
その傍らで、ヒノエとは対照的に望美は連日繰り返されるコトに、寝不足気味という感じだ。

「じゃあな、また遊びに来いよ」

「本当にありがとうございました」

頭を下げる望美に景時は「いいよ、いいよ」と声を掛けた。

「俺も久しぶりに二人に会えてよかったよ。今回の件はちゃんと報告しとくから」

「ああ」

「それじゃ」と手を振り景時は鎌倉へ帰っていった。
しばらく見送っていたヒノエと望美だが、グリッと首を横に向けた。

「何でてめぇは帰らねぇんだ」

ヒノエはヒクヒクと顔を引きつらせながら、声を絞り出した。
てっきり景時と共に帰ると思っていた弁慶は、何故か見送る側にいた。
望美もそのつもりだろうと思っていたので、弁慶の行動には少し驚いていた。

「僕は今君の主治医ですよ。その僕としましては、完全に君が直りきるまで放っとくとことはできませんね」

「それなら、ご心配には及ばないぜ。オレは全快したからな」

「君は分かっていませんね。僕がいると言ったらいるんです」

にっこりと微笑む弁慶。
その笑みに隠された真の意図をヒノエは知っていた。

「そう言って、また望美に引っ付くつもりなのは分かってるんだよ。さっさと鎌倉へ帰れ!」

「ふふ。ですが、言ったはずですよ。後で痛い目に合うと。これくらいはまだ序の口です」

(こいつ、まだオレが遅れて加勢に入ったこと根に持ってやがるのか)

二人のやり取りを見ていた望美が声を出して笑い出した。
ついいつもの調子で言い争っていた二人はきょとんと望美を見た後、一緒になって笑い出した。
いつもの日常が戻ってきている。
熊野にも平和な風が吹き出していた。



<了>



ついに終章を迎えました。
4章からかなりの間が空いちゃいましたね。すいません。
今回は友情出演として景時が出てきました。
陰陽師に対抗できるのはやっぱり陰陽師かなと思いまして。
きっとこの後ヒノエは、ネチネチと弁慶にいじめられるんだと思います。
そんな光景もまた日常なんでしょうね。
長々と此処まで来てしまいましたが、これまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。