恋路之闇・三章





望美は薄暗い部屋の中で目を覚ました。
ゆっくりと体を起こし、あたりを見回す。

「ここ、どこだろ」

見覚えのない部屋だ。

「ヒノエくんを追って勝浦に行って、浅葱さんに会って・・・そして」

望美はあの時の光景を思い出した。
寄り添うヒノエと胡蝶。
見せ付けられているようで、自分が惨めに感じた。
ヒノエは信じてる。でも、

「胸が、痛いよ」

望美はぎゅっと胸の前で手を握り締めた。
その時、部屋の扉が開いた。
入ってきたのは浅葱だった。

「気分はどうですか?泣き疲れて眠ってしまったんですよ。
なので一度私の借り邸にお連れしました」

「そうだったんですか」

望美は力なく答えた。

「可愛そうに、辛かったでしょう」

浅葱は望美に歩み寄ると、頭を撫でた。

「浅葱さん」

望美は浅葱を見上げた。

「弁慶さんを見ませんでしたか?あの時近くにいたと思うんですけど」

望美を撫でる浅葱の手が止まった。

「どうだったでしょう?私は気がつきませんでした」

「そうですか」

望美は視線を落とした。
しかし、次に浅葱を見たとき望美の目は強い意思が現れていた。

「浅葱さん。私はヒノエくんを信じます」

「あの光景を見ても、まだ別当殿を信じると」

「はい。本当のことは本人に聞かなくては分かりません。憶測で決め付けるのは危険です。
私はヒノエくんの言葉を信じます。ヒノエくんのことだもの、きっと何か考えがあるのかも」

「・・・・。分かりました」

浅葱は立ち上がり入ってきた扉に向かった。

「あぁ。望美さんはもう少し休んでいてください。後から送って差し上げましょう」

にっこりと微笑み、浅葱は出て行った。
その姿を望美は無言で見送った。



部屋から出た浅葱は下唇と噛んだ。

「あの状況でまだ信じるというのか。あの二人の絆はそれほどまでに深いと?
それに弁慶。源義経に仕えるただ頭の切れる男だと思っていたが、ヤツもなかなかに手強い」

浅葱はしばらく思案した。

「どうやら、あの捕らえたあの二人には早々に死んでもらわなければなりませんね」

ククッと笑うと、浅葱は闇の中に姿を消した。



「何かおかしい」

浅葱が去った後、望美はしばらく扉を見つめていた。
自分記憶では、確かに弁慶を見たはずだ。
それに、浅葱からヒノエについていた残り香と同じ香りがした。
ということは、ヒノエが会っていたのは、胡蝶ではなく浅葱ということだ。
では何故、「毎日のように会っている」などと嘘をついたのか。
望美の中に、浅葱に対する不信感が生まれていた。

「とりあえず、ここから出てみなきゃ」

望美は身支度を始めた。

「どこへ行くんだい?」

背後から声が聞こえた。
望美は驚いてバッと振り向く。
そこには胡蝶が柱に背中を預けて立っていた。

「胡蝶さん!いつからそこに」

望美は尋ねたが、胡蝶は答えなかった。
ゆっくりと望美に近寄ってくる。

「あんた、あの二人を探しに行くんだろ。あたしが場所を教えてやろうか」

胡蝶はこれまでに見た、優美さがなかった。
美しい舞姫という仮面は剥がれ、鋭い雰囲気をまとっている。
しかし、望美はそのことには触れずに、必要なことだけ問いかけた。

「二人ともこの邸にいるんですね。どこにいるんです。無事なんですか?」

望美の必死な様子に満足したのか、胡蝶はあっさりと答えた。

「地下牢だよ。それ以上は教えない。道は自分で見つけな。
それと、黒い男は知らないが、赤い髪のボウヤは少々痛手を負っているかもねぇ」

クスクスと笑う。
何がそんなにおかしいのかと、望美は胡蝶を睨みつけた。

「ふん。浅葱様は何故こんな小娘がいいのか。龍神の力がなければ、ただの娘と同じではないか」

胡蝶は望美の顎に手をやり上向かせた。

「いいかい、よくお聞き。あたしはあんたに情報を与えた。
だから、あんたはあの二人を連れてさっさと出て行きな。
そして、二度と浅葱様に近づくな」

キッと視線が鋭くなる。
その瞳に望美は恋する女を見た。

(そうか、この人浅葱さんが好きなんだ)

ヒノエではない。
そのことが望美を安堵させた。
胡蝶が手を離すと望美はスッと立ち上がり、扉へと向かった。
振り向きざまに「ありがとう」というのを忘れずに。
そして、ヒノエと弁慶を助けるべく、地下牢の捜索に向かった。

「『ありがとう』・・・か」

望美のいなくなった部屋で胡蝶は呟いた。
確かに望美は自分にない何かを持っているのかもしれない、そう思った。




「うっ」

ヒノエは暗く湿った地下牢の中で目を覚ました。

「ようやく目を覚ましましたか。
どうせ見ているなら、君なんかの寝顔じゃなく、可愛い女性の寝顔がよかったですね」

弁解が冷ややかに言う。

「けっ、俺だって起き抜けに見るなら、野郎の顔じゃなくて望美の可愛い笑顔の方がよかったぜ」

起きた早々嫌味の言い合い。
これでも気が合っているのだろう。

「ッ!くそっ、あの年増。オレが気絶した後、思いっきり蹴りやがったな」

腹を押さえてヒノエは起き上がった。

「今までの女性のツケが回ったんですよ」

「あんたなぁ」

ジロッと弁慶を睨む。
弁慶はヒノエの視線を無視して、話を先に進めた。

「本題入りますが。浅葱という男、彼が『暁』の首領とみて間違いないでしょう。
恐らくは陰陽術師、それもかなりの手だれです」

「なるほどね。結界や幻術を得意とするわけだ」

胡蝶の持っていたあの粉も浅葱が作り出したものだろう。
それにあの匂い。
ここ数日、ヒノエは事の真意を聞き出すために浅葱の元へ通っていた。
ほとんどは重要なことなど聞き出せずに空振りに終わる日が多かったが、一日だけ記憶のない日がある。
望美がヒノエから甘い香りがすると気づいた日だ。

(あの野郎、あの日もオレに幻術をかけやがったな)

ヒノエは内心舌打ちをした。
その日、ヒノエはいつものように浅葱に会いに行った。
だがその後の事はぼんやりとしていて思い出せない。
砂が掌からこぼれ落ちるように、記憶が消えているのだ。
そして、残されるのは甘い香りのみ。
思えばヒノエは浅葱の幻術にかかり、記憶を消されたのかもしれなかった。
恐らくは、自分にとって不利な事をうっかりしゃべってしまったのだろう。

「そして、目的はやはり望美さんだった」

「ああ」

「彼女はとても魅力的な女性だ。それは、僕や君が一番よく知っています」

「オレのほうが隅々までよーく知っているけどね」

ヒノエは別の意味も含めていった。
弁慶はヒノエを一瞥して、話を変えた。

「望美さんは鋭いですからね。そのうち君を付けるだろうと予測はしていました」

「だから、あんたを見張りにつけたじゃないか。なのに、おめおめと敵に捕まりやがって」

「反省はしていますよ。でも、君だって敵の罠にハマったじゃないですか。しかも、女性の」

弁慶の言葉にヒノエは二の句を告げなかった。
ヒノエも望美が付けてきている事を知っていた。
しかし、敵が本性を表さない以上、こちらから何か仕掛けるべきだと弁慶と話し合っていたので、
その場合は望美を囮とし、敵を呼び出そうということにしたのだ。
安全のために弁慶を見張りにつけていた。
いざとなったら、挟み撃ちにできる状況を作っていたのだ。
だが、予想外の事が起きた。
その日に限ってヒノエが胡蝶に呼び出されてしまったのだ。
ヒノエに断る理由はない。
むしろ、情報を聴きだそうと積極的に付いて行った。
そして、罠に落ちた。
確かに女性相手に油断がなかったとは言い切れない。
弁慶も結界に阻まれ動けなくなり、望美と浅葱が消えた後、楽師をしている輩に動きを封じられてしまった。
そう、普段舞のために琴や笛を奏でている彼らも、『暁』の一員だったのだ。
最終的には弁慶も捕らえられ、ヒノエと共に地下牢に入れられたというわけである。

「望美さん泣いてましたよ」

「望美は話の分かる女だ。なんたって熊野別当藤原湛増の妻なんだぜ」

「いえいえ、案外本気にしているかもしれませんよ。その時は僕が慰めてあげるんで安心してください」

「あんたに任せて誰が安心できるか。
だいたい、望美はオレのとこから離れねぇよ。信じてるからな」

望美も同じことを言っていたとも知らずに、ヒノエはそう口にした。
ヒノエの自信に満ちた表情に、弁慶はふぅと溜息をついた。
弁慶も分かっているのだ。
自分がどんなに二人の間を掻き乱そうとも、二人の絆は決して緩む事はないと。
だから、浅葱がどんな手を使おうとも望美を手に入れられない事もわかっていた。
しかし、自分以外のものが掻き乱すのは癪に触るのだ。

「問題はこれからどうするかです。とりあえず、ここから出ない事には何もできませんね」

「それなら任せとけ。鍵開けは得意なんでね」

ヒノエはゴソゴソと懐を探った。

「あれ?おかしいな」

「どうしたんです」

「ここに入れといた、鍵開けの道具が」

違うところに入ってないか着物の上から探ってみる。

「身体検査くらいされていますよ。武器だってないんですから」

「じゃあ、これからどうするって言うんだよ」

「だから問題だと言っているんです」

キッと二人は睨み合った。
と、その時上のほうから鈍い音が聞こえた。
次に、階段を下りてくる音が聞こえてくる。
敵がやってきたのかと、ヒノエと弁慶は息を詰めて階段を見つめた。
そして、現れた人物に仰天した。

「望美!」

「望美さん!」

二人は同時に叫んだ。
入ってきたのは望美だった。

「よかった。二人とも無事だったんだね」

望美は二人の入っている牢に駆け寄った。

「どうしてここに?」

「胡蝶さんが教えてくれたんだ。ちょっと待ってて」

ヒノエの問いに答えると、望美は牢を開けようとした。

「無理です。鍵が掛かっています」

弁慶の問いに、望美はジャラッと鍵の束を見せた。

「大丈夫です。ちょっと上で拝借してきました」

そして、順に鍵を錠に入れていく。
ふとヒノエと弁慶は望美の傍らに転がっているあるものに気がついた。
棍棒である。
となると、さっき響いた鈍い音の正体がおのずと想像がついた。
これにはヒノエも弁慶も苦笑いを浮かべるしかなかった。

「さ、さすが、オレの姫君」

「ええ、僕たちの神子ですね」

何本目かの鍵を錠に通した時、ガチリと音と共に扉が開いた。

「さぁ、早く出てください」

望美に促されてヒノエと弁慶は牢の外に出た。
牢から出てまずヒノエがした事は、望美を抱きしめる事だった。

「ヒノエくん!?」

望美は慌てた。

(弁慶さんも見ているのに)

誰かが見ていると思うと恥ずかしくて、ヒノエを押し戻そうとする。
だが、ヒノエの力は緩まない。

「ゴメンな。望美」

望美は動きを止め、伺うようにヒノエを見上げる。

「どうして謝るの?」

「胡蝶との事」

ビクリと望美が反応する。
その反応に、ヒノエはやはり誤解されていたのかと案じた。
しかし、望美は体を動かしヒノエの頬を両手で包み視線を合わせると、
安心させるようにふわりと微笑んだ。

「ちゃんとわかってるよ、ヒノエくんのこと。胡蝶さんとは何でもないんでしょ。
大丈夫。信じてるから」

「・・・望美」

ヒノエはもう一度強く望美を抱きしめた。
二人の様子を見ていた弁慶は仕方ないなと吐息を漏らした。

「ヒノエくんが会ってたのは浅葱さんでしょ。
知らなかったな、ヒノエくんにそんな趣味があるなんて」

この言葉に弁慶はプッと吹き出した。
ヒノエはあんぐりと口を開けている。
そんな二人の反応を見て、望美はクスクスと笑った。

「冗談だよ。さ、帰ろう。私たちの家へ」

望美は先頭きって歩き出した。

「さすがですね。そこまで気づいているなんて」

「ああ。これだから望美はいいんだよな」

階段を上がると、頭に大きなこぶを作って倒れている門番の男がいた。
彼をまたいで通る時、ヒノエと弁慶は「ご愁傷様」と頭の中で手を合わせた。



外に出る間、ヒノエと弁慶は状況を理解できていない望美にかいつまんで事の経緯を話した。
始めは戸惑っていたものの、望美はようやく自分の置かれた状況を理解できた。
一行が歩き出してしばらく経ったころ、

「随分と歩きましたが、なかなか外に出られませんね。
階段などは使ってませんから、一階のはずなんですが」

とうとう弁慶が疑問を口にした。
これは先ほどからヒノエと望美も思っていることだった。
牢を出てからしばらく経っている。
そろそろ外が見えてきてもいいはずだ。

「それに、なんか同じようなところを通っている気がしませんか」

「望美、お前どうやって俺たちのところにたどり着いたんだ?」

「どうって、部屋を出たら一本道だったよ。地下って聞いたから、あった階段を下りただけで」

望美はうーんと唸った。

「これは、術にハマったかもしれませんね。
恐らく、望美さんが一本道で地下牢まで来れたというのも、術で道を作っていたのでしょう。
そして、この状況は結界の一種でしょうね」

「結界?」

「ええ、空間と空間が繋がっていて、同じところをぐるぐる回るというやつです」

「ということは、オレたちはまたヤツの手の中って事か」

ヒノエの顔が厳しくなった。

「こういう結界の類は、術の元になる札やら鏡があるはずなんです。
それを壊せば結界は切れるはずなんですが」

「そんなの、これまで一つも見なかったぜ」

ヒノエが反論する。
また言い争いが始まりそうな二人を見て、望美は恐る恐る声を掛けた。

「あの、今までは廊下を歩いてきましたけど、ここは思い切って部屋を突っ切るというのはどうですか。
まっすぐ行けば、そのうち外にたどり着くかも」

望美の申し出にヒノエと弁慶は顔を見合わせた。

「あの、私また変な事・・・」

「いいえ、そうですね。確かに、外に繋がるのは廊下だけじゃない。
部屋に入れば、別の空間に通じているかもしれません」

「そうだな。望美の言う通りだ。じゃ、行くぜ」

ヒノエは一番近い戸を勢いよく開け放った。
そこに広がる光景を見て、三人は唖然とした。



<了>



三章です。
神子すごいですね。ボコッちゃってます。
この章にて、やっと中盤です。
次の展開が一番書きたかったことなので、ちょっと気合入ってます。
さぁ、三人が見たものとはなんだったのか。
(そこまで引っ張ることではありません)
まだ続きます。