恋路之闇・二章




(最近どうもヒノエくんの様子がおかしいのよね)

浅葱たちの一座が来てから、ヒノエは長々と弁慶と話し込んだり、
夜遅くまで出歩いたりと不可解な行動が多かった。

(昨日は甘い残り香なんかしてたし)

望美は腕組みしながら考え出した。

(あのヒノエくんが、夜私と一緒にいなくていいなんて)

そんなことを考えていると、ヒノエが出掛ける姿が見えた。

「ヒノエくん。どこか行くの?私も一緒に行っていい?」

駆け寄って尋ねてみる。
いつものヒノエなら望美の頼みはよっぽどのことがないかぎり頼みは断ることはない。
しかし今日は、

「悪いね、望美。今日は連れて行けないんだ」

あっさり断られてしまった。
ヒノエの後姿を見送りながら(やっぱり怪しい)と望美は思った。

(弁慶さんも朝から出掛けちゃってるし)

何か二人は自分に隠している気がする。

「ぐだぐだ考えるより、行動だよね」

望美はそう結論付け、悪いと思いつつもヒノエの尾行を開始した。



「ここって勝浦?浅葱さんたちが講演してるところだ」

ヒノエを追ってやって来たのは勝浦だった。
今は胡蝶が舞を披露している最中である。

(胡蝶さんの舞、やっぱり綺麗だな)

望美はつい舞に見入ってしまった。
舞が終わると、どうやらこれが最後だったらしく、大勢の拍手と共に今回の公演は終了した。
はっと気づくと望美はヒノエの姿を見失っていた。

(どこいっちゃったんだろう。ヒノエくん)

しばらく辺りを探していると遠くにヒノエの姿が見えた。
ヒノエの赤い髪は遠いところでもよく目立つ。
望美は駆け寄ろうとしたが、途中で足を止めた。
ヒノエが一人ではないと気づいたからだ。
ヒノエの前に立っているのは、白拍子姿の女だ。

(あれは、胡蝶さん?)

望美は思わず近くの物陰に隠れた。

(あれ?何で私隠れてるの?)

疑問に思いながらもそっと覗いてみる。
二人は何やら話しこんでいるようだが、遠すぎて声までは聞こえてこない。
しかし、随分親しそうに見えるのは気のせいだろうか。

(ヒノエくん、私に内緒で胡蝶さんに会いに来てたんだ。
きっとあの香りは胡蝶さんのもの)

屋敷で胡蝶の舞を始めてみた時、ヒノエは胡蝶のことを大分気に入っているように見えた。
自分が嫁いで以来、ヒノエが他の女性に興味を持つことなど初めてのことだった。

(しょうがないのかな。ヒノエくんはモテるし、胡蝶さんは美人だし)

傍から見てあの二人はとてもお似合いだと思う。
望美はどうしようない寂しさを感じた。
それでも二人から目が離すことができない。
そうしてる間に二人の距離は縮まり、ついに胡蝶がヒノエの首に腕を回した

「・・・っ」

望美は息を呑んだ。
まさかそこまでの仲だったとは思っても見なかったのだ。
ヒノエも抵抗する様子もない。
望美はショックを受けた。

「ダメッ!もう見てられない!」

踵を返すといきなり人にぶつかってしまった。

「きゃっ。す、すみません」

「いえ、こちらこそ」

顔を上げるとそこには浅葱が立っていた。

「浅葱さん!」

「望美さんですか。おや、泣いていらしたんですか」

「え?」

望美は浅葱の言葉に始めて自分が泣いていることに気がついた。

「どうなされました」

「何でもないんです」

慌てて涙を拭う望美の背後を覗くとヒノエと胡蝶の姿が目に入った。

「あぁ、あれを見てしまったのですか。
あなた方の屋敷に行って以来、別当殿は毎日のように胡蝶に会いに来ているのですよ」

「・・・毎日」

望美は浅葱の言葉を繰り返した。
望美の鼻を甘い香りがくすぐる。

「えぇ。望美さんには悪いと思いますが、私は彼があなたにふさわしいとは思えない。
もっと別の誰か、きっとあなたに合う男性がいるはずです」

「・・・別の、誰か」

「そう。私が教えて差し上げましょう。さぁ」

浅葱は手を差し出した。
望美は何の疑問も持たずに自分の手を伸ばした。



「こんなところに呼び出して、何の用だい?」

少し前のこと。
ヒノエは望美が自分のことを付けているとも知らずに胡蝶と会っていた。

「つれない方ですわね。毎日のように舞を見に来ていらっしゃるのに」

胡蝶は微笑んだ。
そんな胡蝶を前にヒノエは冷ややかに言った。

「別にあんたを見に来てるわけじゃないさ。舞なら望美の方が上手いからね」

ヒノエの態度にも胡蝶は笑顔を絶やさない。

「では、何故?」

「『暁』」

ヒノエの一言で胡蝶の表情は一瞬強張った。

「『暁』という集団を知っているか?」

「さぁ。わたくしには何のことだか。
それより、わたくしは初めて会った時からあなたのことが忘れられませんの。
どうか望美さんと同じように、わたくしにもお情けをくださいまし。ヒノエ様」

そう言って胡蝶はヒノエの首に腕を回した。
ヒノエは冷めた表情でそれを受けた。

「ふん。やっぱり年だね。ここんとこ、皺が目立ってるぜ」

ヒノエは自分の目尻を指差した。

「なっ」

胡蝶はバッと身を離した。

「それに、オレのことを『ヒノエ』と呼ぶな。この名前は特別なんだ。
あんたが易々と呼べるようなものじゃない」

『ヒノエ』は自分が心を許した仲間のみが呼ぶことができる特別の名だ。
ヒノエはこの名前に誇りを持っていた。
それに望美がこの名を呼んでくれる。

「あんたの申し出を受けてここに来たのは、あんたらの正体を知るためだ。
大人しく白状しなよ、おばさん」

「くっ、生意気なガキが」

胡蝶の顔はもはや先ほどまでの美しい顔ではなかった。
眉間に皺を寄せ、鬼のようにヒノエを睨んでいる。

「折角厚化粧で整えた綺麗な顔が台無しだぜ」

「ふっ、軽口叩けるのもそこまでよ」

辺りにムッとするほどの甘い香りが漂う。
見ると胡蝶の手から、サラサラと粉が舞っている。
どうやら匂いの元はこれらしかった。

「何!?」

「気づくのが遅かったようね。
さぁ、いい子だから、眠りなさい。生意気なボウヤ」

グラッとヒノエの視界がぼやけ、力なくその場に倒れこんだ。



望美は差し出された浅葱の手に、自分の手を伸ばしかけていた。
辺りには甘い香りが満ちている。
何処かで嗅いだことのある匂いだなとぼんやりと考えていた。

「望美さん!」

鋭い声が聞こえた。
ピクリと望美の動きが止まる。
だが、頭が霧がかかったような望美は、その声に敏感に反応することができず、ゆっくりと振り向いた。

「望美さん!!」

「・・・弁慶さん?」

少しはなれたところから弁慶が走ってくるのが見える。

「ちっ、邪魔が入りましたね」

浅葱は弁慶を見据え、おもむろに手をかざした。

「ぐっ」

バチバチと弁慶の体に電流のようなものが走る。
目の前に透明の壁のような物があり、弁慶はそれ以上前に進むことができない。

「これは、結界?」

「そうです。少し遅かったですね」

ふっと浅葱は微笑んだ。
それを弁慶は思いっきり睨みつける。

「やはり、狙いは望美さんだったんですね」

「気づいていましたか。この方は本当に美しい。その姿も心も。それを自分の手で穢してみたい。
それがどんなに楽しい遊戯になるか。そう思いませんか?」

「僕もそんなにいい人間ではありませんが、生憎あなたほど悪い趣味は持ち合わせていませんね」

「それは褒め言葉として受け取っておきましょう」

そう言うと、浅葱は望美に振り返った。

「さぁ望美さん、参りましょう」

浅葱は望美の手を自ら取った。

「望美さん!その手を取ってはいけない!」

弁慶は必死に叫んだが、望美にその声は届かない。
浅葱は弁慶にフッと笑みを送ると、忽然とその場から姿を消した。
辺りには甘い香りだけが残されていた。


<了>



恋路之闇・二章です。
今回は「あれ?罠に落ちちゃった編」です。
見事に次々と罠にハマっちゃいます。
おかげで主役3人の絡みがまったくありません。
次の章ではもう少し絡みが出てくるのでご安心を。

てなわけで、恋路之闇続きます。