初恋を君へ




「よし、これで買うものは全部かな」

とある日の午後、望美とヒノエは買出しのために町へ出掛けていた。
なかなか大きな商業の町で、せっかくだからと必要なものをみんなで手分けして揃えているのだ。

「じゃ、荷物もあるし帰ろうか。
オレとしてはもう少し姫君と買い物を楽しみたいところだけどね。」

「もぅ、またそんなこと言うんだから。あ、待って」

ヒノエの軽口をさらっと流して、望美は通り過ぎようとした露店に駆け寄る。

(本気なんだけどな)

望美にはいつも口説き文句を流されてしまう。
普通の女性ならコロッといってしまいそうな台詞でさえ、望美の心までは届かない。
こんな女は初めてだ。
それに白龍の神子そして怨霊と戦い、仲間の為に自分を犠牲にできる少女。
あらゆる点でヒノエは望美に興味を持っていた。
いつしかそれは恋に変わり、ヒノエの心を捕らえて放さない。

「わぁ、綺麗なかんざし」

望美が手に取ったのは珊瑚のかんざしだった。
細かい細工が施されていて、なかなか値が張りそうである。
店にはかんざしや櫛などが並べられていて、どれも高そうなものばかりだ。

「へぇ、こんな店にあるにしてはいい品物だね」

「わかるの?」

横から眺めながらヒノエが評価を述べる。

「物を見る目には自信があるんでね。何か欲しいものあるなら買ってあげるよ」

そう言って、手近なものを望美の髪にあてがう。
本当なら望美が望むならこの店全ての商品を買ってやってもいいくらいだ。
だが、それで喜ぶ相手ではないことをヒノエは知っていた。

「ほら、これなんかどうだい?桜の花がよく似合っているよ」

望美もしばらく物色していたが、結局は持っていたかんざしを元の位置に戻した。

「折角だけど、やっぱりいいよ。
戦う時に邪魔だし、どこかに落としちゃいそうだもの。
貰うならちゃんと大切にしたい」

望美らしい考えだとヒノエは思った。
そうは言うものの、望美の顔には少し未練が表れているのをヒノエは見逃さなかった。
しかし、ヒノエも無理を言わず、そのまま帰路に着いた。



その夜、望美の部屋に訪問者が現れた。

「望美、起きてるかい?」

「ヒノエくん?起きてるよ。どうしたの?」

襖を開けて、ヒノエと向き合う。

「望美に贈り物を持ってきたよ」
そう言って差し出した物を見て、望美は驚きの声を上げだ。

「これ、さっきのかんざしじゃない。
まさか、さっきの店に戻って買ってきてくれたの?」

ヒノエの手には最初に見た珊瑚のかんざしが載せられていた。
帰り際に見せた望美の表情を察して、一人戻って買ってきたのだった。

「気に入っていたみたいだからね。
日頃の礼だと思って受け取ってよ」

望美は困惑した。
あの時はっきり断ったはずである。

「ヒノエくん、私の言ったこと覚えてる?」

「望美の気持ちは知ってるよ。
だからこれは今付けろってわけじゃない。
戦が終わって、この世界が平和になって、望美が本当に幸せだって思った時に付けてくれればいいんだ」

真剣な顔で言うヒノエに、望美も心を動かされた。

「・・・ヒノエくん」

「もちろん、その時隣にいるのはオレだけどね」

そう言ってウィンクをするヒノエを見て、望美はまたからかわれたと憤慨した。

「もう!せっかく感動してたのに」

「ははは。ね、望美。受け取ってよ」

再度言われて、今度は望美もコクン頷き、かんざしを手に取った。

「ありがとう、ヒノエくん」

昼間見たとおり、素敵なかんざしだ。
だが、気のせいだろうか。
自分のものにならないと思っていた昼間より、ヒノエからプレゼントされた今の方がずっと素敵に見える。
しかし、望美は貰ったざしより、自分の言ったことをちゃんと考えてくれたヒノエの気遣いの方が嬉しかった。

「ちょっと待ってね」

後を向くと簡単にだが髪を上げて、かんざしを挿した。
そしてまたヒノエに向き直る。

「望美?」

かんざしを挿すのは、戦が終わって、望美が幸せになった時でいいと言ったはずである。
何故、今挿してくれるのか、ヒノエは不思議に思った。

「ヒノエくんは私が幸せになったときでいいって言ったけど、私は今幸せだから。
だから、今だけ特別」

ふわりとした笑顔を浮かべ、少し恥ずかしそうに頬を染めながら「似合う?」とヒノエに問う。
トクンとヒノエの心臓が跳ねた。

(ヤバイ。完全に不意を衝かれた)

ヒノエに動揺が走る。
顔が赤くなるのが分かる。
手でそれを隠すように顔を覆い、
動揺を必死にこらえて、返事を返した。

「とても、よく似合うよ」

何時もならもっと気の聞いた台詞が言えるのに、今はこれが精一杯の自分に驚いた。
それでも望美がかんざしを挿してくれたことに、どうしようもない喜びを感じる。

「ヒノエくん?」

いつもと様子の違うヒノエの顔を望美画のぞき込む。
それだけで、ヒノエの体温がまた上がる。

「あ?ああ。夜ももう遅いし、そろそろ寝ないとな。じゃ、また明日。おやすみ、望美」

一気にそれだけ言うと、ヒノエはさっさと戻ってしまった。

「? おやすみなさい」

既に後姿しか見えないヒノエの急な態度の変化に、望美は首を傾げつつ声を掛けた。
ヒノエが去って部屋に戻ると、髪からかんざしを抜き取る。
そして、愛おしそうにかんざしを見つめ、胸に抱いた。

「ありだとう」

きっと大切な宝物になるはずだ。
今度このかんざしを挿すのは戦が終わった時。
次に挿す時も彼のそばにいられますように。
望美はそう祈りながら、大事そうに荷物を入れる箱にかんざしをしまった。



望美の元を去ったヒノエは、部屋には直接帰らず、途中の縁側に座っていた。
顔の赤い今の状況で他の八葉のいる部屋へ帰ったら、絶対に問いだされるに決まっている。
特にあのいけ好かない叔父に。
というわけで、ヒノエは夜気で顔の火照りを冷まそうとしていたのだ。

「はぁ〜」

ヒノエは大きくため息をついた。

「アレは反則だろ」

呟きを漏らす。同時に先ほどの出来事を思い出して、また顔が赤くなる。
かんざしを受け取ってくれて、今が幸せだとそれを挿してくれた望美。
そしてあの笑顔。
それに「特別」だと自分だけに見せてくれた姿が、どうしようもなく愛しい。
望美を嬉しくさせてあげるつもりが、自分が嬉しくなってどうするのか。
これまで数多くの女性と付き合ってきたが、これほど自分の心を揺さぶる人に会ったのは初めてだ。
本気の恋愛がこんなにも厄介であることを初めて知った。
そして、ちょっとしたことがこんなにも自分を嬉しくさせてくれるものだということも。
望美と接していると、今まで知らなかった自分に気づき、ヒノエはいつも驚かされる。

「まいったな」

そう言って月を仰ぐヒノエの顔が満更でもないようだった。
しかし、再び望美の顔が頭に浮かび、体温が上昇する。
どうやらヒノエが部屋に戻るのには、まだまだ時間がかかりそうである。



<了>



タイトルは「初恋を君へ」となっていますが、ヒノエの初恋は望美ではないでしょう。
しかし、『初めての本気の恋』って言うことで、あえて初恋を使いました。
表面ではクールにしてるけど、内面は戸惑うことが多いのではと考えてしまいました。
そこを気づかせないって言うところが、ヒノエらしいというか、男の子ってもんでしょう。
最後はちょっと望美に不思議がられてますが、これも初恋ゆえの未熟さなんじゃないかなと思います。