姫君の起こし方




「望美の部屋はっと・・・。おっ、ここだな」

朝、ヒノエは望美を起こすべく廊下を歩いていた。
普段なら譲が起こしに行くところなのだが、今朝はヒノエが行くといってきかなかったのだ。

「朔ちゃんが『男子はこちら側の部屋には入ってはいけません』って言うから
今まで来た事なかったけど、そんな風に仕切られてたら、
ますます入っちゃいたくなるってのが男心ってもんだよな」

今日は[起こしに行く]という名目で、特別に許可を得たのだった。

「しかし、譲と朔ちゃんのあの顔。オレってそんなに信用ないかな。
否定はしないけどさ」

台所で朝食を作る二人に、今日は自分が起こしに行くと告げたとき、
明らかに二人とも不安そうな顔をした。
許可を貰ったとはいえ、実際は駄目だという二人を、
飯の仕度が遅れていると適当に理由を付け、無理やり押し切ったというのが事実だった。

「さ、姫君の寝顔を拝見するとしようかな」

すっと襖を開ける。
部屋の中央にはまだスヤスヤと寝息を立てて寝ている望美の姿がある。

「ふふっ、寝ている顔も可愛いね。望美、朝だよ」

軽く方を揺すってみる。
ん〜と身動きはするものの、もちろんそれで望美が起きるはずもない。
譲でさえ物で釣ってやっと起こすことができるのだ。

「困ったね、さてどうしようか」

そうは言っているが、これは予想の範疇内。
ヒノエは全く困った顔などしていない。
むしろ、この状況を楽しんでいるようである。

「こうなったらアレかな。
前に望美が話してた童話ってやつの『王子様のキス』をするしかないね」

ヒノエの本当の目的は、望美を起こすでもなく、
譲と朔の朝食の準備を急がせるためでもなく、コレだったのだ。
京での望美の話を思い出したヒノエは、思いついたら即行動と
早速実行してみることにしたのだった。

まずは、前屈みになってそっと望美の唇に自分の唇を重ね合わせる。
想像していたよりもずっと柔らかい望美の唇に、
ヒノエは湧き上がる衝動をぐっと押さえ込んで唇を離した。
だが、話のとおり口付けをしたのに望美が起きる気配は全くない。
こうなってくると、先ほど抑えた悪戯心がまたフツフツと湧き上がってくる。

「ふ〜ん、ウチの姫君はコレくらいの口付けじゃ足りないって言うのかい?」

返事がないことをいいことに、ヒノエの行動はだんだん大胆になってくる。
望美の顔のこちら側と向こう側に両手を付き、半ば覆いかぶさるような体制になると、
また唇を重ね合わせる。
しかし、今度は先ほどのように触れるだけのものではなく、もっと深い口付けを交わす。

「・・・ん」

少し苦しくなったのか、望美が声を漏らした。
息をしようと開けた口に、すかさずヒノエはもっと奥へと舌を入れる。

「んんっ!・・・ふっ」

息の吸えない苦しさに、さすがに目を覚ました望美は、無意識にヒノエを押しのけた。
軽く上がってしまった息を整え、ようやくヒノエがいることに気づく。

「あれ?ヒノエくん?」

「おはよう、姫君。よく眠れた?」

何事も無かったかのようにヒノエは微笑む。

「うん。でもビックリした。
いつもは譲君が起こしに来てくれるのに、今日はヒノエくんだったから。
そういえば、さっきの夢にヒノエくんが出てきたような気がする。
だから、起きたらヒノエくんがいて驚いたんだ」

乱れた衣を調えながら起き上がる。

「へぇ、オレの夢ねぇ。どんな夢だったんだい?」

「えーと、私がお姫様で、ヒノエくんが王子様なの。
私は寝ちゃってるんだけど、ヒノエくんが起こしにくるって夢だったよ」

すぐに忘れそうになる夢の糸を手繰るように言葉を紡ぎだす。

「まるで、この間話してくれた童話みたいだね」

「そう!ちょうどそんな感じ。そして、最後にヒノエくんは私に・・・」

そこまで言って望美は口をつぐんだ。
夢と現実の糸が繋がる。
口元を手で押さえ、見る見る顔が赤くなっていく。

「ヒノエくん。さっき私にキ、キス・・・」

動揺のあまり、言葉がうまく出てこない。
そんな望美を尻目にヒノエはさらっと答えた。

「口付けのことなら確かにしたよ」

それを聞いて、望美の恥ずかしさと怒りは最高潮に達した。

「なっ、何で!」

「何故ってお前が言ったんだぜ。
お姫様を起こすには王子様のキスだって」

「でも、でも、私とヒノエくんは違うじゃない!」

「違わないよ。オレはいつも望美を姫君だと思ってるし、その隣にいるのはオレだと思ってる。
望美はオレに口付けされるの、イヤ?」

ヒノエに小首をかしげて尋ねられたら、望美に拒否権はない。
それでもまだ怒っているのだと反抗するように、ヒノエから目をそらす。

「ねぇ、答えてよ。望美」

なおもヒノエは聞いてくる。

(わかってるくせに)

心の中でボヤキながらも、望美は観念して小さな声で、しかしはっきりと答えた。

「イヤじゃないよ。
ヒノエくんのキスはイヤじゃない」

チラッとヒノエを横目で見ると、満足そうに微笑むヒノエが目に入った。




「ヒノエ、遅いですね」

「そうねぇ」

食事の席について八葉と朔・白龍は未だ来ない二人をずっと待っていた。

(さすがに、心配になってきたわ。何事も無ければいいのだけれど)

朔は頭に浮かんだ考えに眉をひそめる。

「あ、来たようですよ」

譲の声に顔を上げると、心なしかイキイキとしているヒノエと顔をまだ赤く染めている望美の姿が目に入った。
それを見た瞬間。朔の周りが一気に凍りついた。
思わず隣にいた譲も、いきなり下がった空気にたじろいだほどだ。
二人を見て大体の予想が付いた朔は、
もう二度とヒノエを望美の寝所に近づけさせまいと硬く心に誓った。



<了>



京で望美が白龍に話していた童話は「白雪姫」か「眠れる森の美女」だっただろう
と勝手に決め付けて書いた話です。
もし、そうじゃなくても、もっととせがむ白龍にたくさん聞かせていたんじゃないかなと思います。
ヒノエも面白いと聞いていたので、隙あらばと機会をうかがっていたはず。
しかし、普段から想像してただキスしただけでは望美は起きないだろうと、
そこまで計算しての行動だと思います。