薔薇の痛み




夕方から夜に変わった。
辺りはどこかのウサギを思い出すオレンジ色から、あの人を思い出す暗闇へと変わる。
帽子屋ファミリーのボス、ブラッド=デュプレ。
今、私は彼を主とする帽子屋屋敷へと足を運んでいた。

「君は、そんなにこの庭が気に入ったのか」

ブラッドは私に声をかけながら、手近にある薔薇に手を伸ばした。

「ええ、私ここが気に入ってるの」

ムッとするほどの薔薇の匂いが立ちこめる薔薇園。
ブラッド自ら手入れをしているという薔薇園は、私が見てきたどの庭園より素晴らしい。
屋敷の者にもその存在を知らせず、この薔薇園に入れる者は限られている。

(こんなに綺麗なところなのに)

もったいないと思いつつ、入ることを許される数少ない人間に数えられていることに喜びを感じる。
ここは美しい兄弟が唯一兄弟として接することのできる場所。
傍観者でいい。交わらなくてもいいから、いつまでもその光景を眺めていたいと心から思う。
だが、今は姉の姿はなく、あるのは弟のみ。
私は地面に腰を下ろし、薔薇を愛でるブラッドの姿を眺めていた。

「何が面白いのか。ここには薔薇しかないというのに」

「そうね」

ブラッドは呆れたように視線をそらし、別の薔薇に手を伸ばす。

(そんなことないわ。ここにはあなたがいるじゃない)

この薔薇園は美しい。見ていて飽きない。
でも、私がここに来る理由はそれだけじゃない。
じっとブラッドを見る。
彼は愛おしげに薔薇に手を伸ばし、そっと撫でるように触れていた。
優しい仕草。
私に触れる時とは全然違う。

(私のときはあんな触れ方してくれない)

ムカつく男だ。
薔薇にはあんなに優しく接してあげるくせに、私には壊れてもいいような扱いしかしてくれない。
それでも、ここにきてしまう。会いにきてしまう。

(ほんっと、ムカつくわ)

何より自分自身に一番ムカつく。
いつの間にこんなことになったのだろう。
面倒ごとにはなりたくないと思ってきたはずなのに。
それもよりにもよってブラッド=デュプレだなんて。

「そんなに、睨まないでくれないか」

ブラッドの声によって私の思考は中断された。

「睨んでなんかいないわ」

即座にそう返答する。
睨んでなんかいない。ただ見ていただけだ。

「いや、睨んでいたよ。実に心地よい視線だ。・・・殺したい、そう言いたげな」

ふふふ、とブラッドは笑った。
嫌な笑い方だ。私は全く面白くない。

「あなたを殺したいなんて思っていないわ」

思ったところで、逆に殺されそうだ。
私はそんな無謀なことはしない。

「そうだろうね。君は聡い子だ。だが、時に鈍くもなる。君が殺したいのは薔薇だろう」

かぁっと体が熱くなる。
悪戯がばれたときの子供のように、言い訳を探そうとする。
後ずさりしようとして、背に茂った薔薇が当たった。

「いたっ」

薔薇の棘が頬を掠めた。
血が出たかもしれない。
熱くなった頬に、さらに熱が増す。

(どうして傷つけるの)

私だけを、どうして・・・。

「ああ、傷がついてしまったな」

間近で声が聞こえると思ったら、ブラッドがすぐ近くに膝を着いていた。
手を伸ばし、頬に触れる。
薔薇とブラッドに挟まれて身動きが取れない。

「った! 何するのよ」

あろうことか、この男は傷口をこすった。
小さい傷でも、これは地味に痛い。いや、地味だからこそ痛いのだ。

「痛いか?」

「痛いわよ!」

痛い。
どうして、あなたは私を傷つけるの。

(どうして、傷つけたの?)

この男と関係を持ってしまったのは最近のことではない。
責任を取れとは言わない。
強引だったけど、嫌だったわけじゃないから。
でも、理由は知りたかった。

「痕が残ればいい」

「は?」

ブラッドはとんでもない事を言い出した。

「外に出歩けないほどの。それならばずっと君を閉じ込めておける」

ブラッドは私を囲い込むように、左右の腕を薔薇の壁に押し付けた。
それでも出来るだけ薔薇は傷つけないようにしているのが分かる。

(私のことは傷つけたのに)

「薔薇には優しいのね」

思わず言葉に出た。
出してからしまったと後悔する。
ブラッドは一瞬目を見開いた後、声を出して笑い出した。

「はははははっ。そうか、君が睨んでいた理由はそれか。ふふふふっ」

恥ずかしさで、体が火照る。
ブラッドは賢い男だ。立った一言ですべてを把握してしまったのだろう。
私が薔薇に感じていたのは嫉妬心。
ブラッドに優しくされる薔薇に嫉妬していた。
同時に、私にも同じように接してくれたらと思ってしまった。
そんなことを考えてしまった自分が恥ずかしい。

「分かったなら教えてよ」

どうせばれてしまったのだから、聞かないと損だ。
ブラッドは更に一頻り笑った後、ようやく口を開いてくれた。

「薔薇は棘がある。丁寧に優しく接しなくてはこちらが傷ついてしまう。だが、君には棘がない。いくら乱暴に扱おうとも君は私を傷つけない。そうだろう?」

クッとブラッドは笑った。

「だからって、あなたが私を傷つける理由にはならないわ」

「理由になるさ」

ブラッドはスッと目を細めた。
獲物を狙う猫のような鋭い目つき。
ゾワッと背中が泡だった。

「痕が残ればいい」

ブラッドはさっきと同じことを言った。

「私のせいで傷ついて、外に出られなくなれば。だが、君は存外丈夫だ。何度君を傷つけようとも、君は外に出る。私から離れてしまう。だから何度でも傷つける。私を・・・」

そこで一旦言葉を切る。
私は次の言葉を待った。

「刻みつける」

ブラッドは押し付けるようにキスをしてきた。
実際薔薇の壁に押し付けられる。
剥き出しの腕や首筋に薔薇の棘が刺さっていく。

「いっ」

痛い、とは言えなかった。
すべての言葉はブラッドの口へと飲み込まれていくから。
その代わり、甘い吐息が漏れる。

「ん・・・はぁ」

唇から離れると今度は棘で出来た傷口に唇を這わせていく。
だんだんと乱されていく服。
新たに出来る傷。
それに口付けるブラッドの熱。
痛みも快感へと変わっていく。

「ブラッド」

私はブラッドの背中に腕を回し、ぎゅっとしがみついた。
今までにない反応に驚いたのか、愛撫するのを止めてブラッドが見つめてくる。

「何かな、お嬢さん」

平静を装っているが、ブラッドは少し意気が上がっていた。
それがちょっと嬉しい。

「お願いがあるの」

そう言って私は自分からブラッドにキスをした。

「もっと傷つけて」

そう囁くとブラッドはニヤリと笑った。

「君は優しくされるのを望んでいると思っていたが」

「まさか。私は薔薇と同じ扱いなんて嫌よ」

(あなたが傷つけるのは私だけなんでしょう)

これまでも、これからも。
私を傷つけていいのはあなただけ。

「君らしい、ひねくれた考えだな」

ブラッドは微笑みながら、そのまま私を押し倒した。
薔薇とブラッドに傷つけられる。
傷物の私は逃げることが出来ない。
ずっとここで、ブラッドと薔薇と一緒に甘い時間を過ごしていく。




<Fin>




なんとも抽象的!
私は常々本とは深く読んでこそ作者の意図がわかるものだと思っていますが、私の書くものはわかりにくいと思います。
もっとわかりやすい文章が書きたい。

しかもこれを人に押しつけ・・・いやいや、捧げようというのだからたちが悪い。
相互で小説を書くのは初めてだったので気合を入れたのですが。
ブラアリとリクをいただいたときに、薔薇に関するお話が書きたかったのです。
というわけで、かりんさん。返却可ですので!

相互をしてくださったかりんさんに、葉月から感謝と愛を込めて・・・。