ノートの端書




帽子屋屋敷の一室、ブラッド=デュプレの私室。
現在ここには部屋の主であるブラッドと、屋敷のメイド見習いであるアリス=リデルが二人きりで過ごしている。
多種多様の本が一面に並ぶこの部屋にアリスが訪問するのは珍しいことではない。
そして、その場にブラッドがいることも。
二人で同じ時間を過ごすこともしばしば。そして、今も・・・。

「あ、ダメ。ここ・・・」

「ん、ここか・・・。ふふ、この間教えただろう。ほら、1人でやってみなさい」

「無理よ。できない・・・」

首を振るアリスの答えにブラッドは溜息をついた。

「不正解だ。どうして一回で覚えない」

ブラッドは机に広げられた書類に大きくバツと書いた。

「う・・・、難しいのよ。そりゃ、ブラッドはこの書類を作った本人だから分かるんだろうけど」

アリスはペンを握り締めて、書類を睨みつけた。
机には一面に紙が広げられ、参考書が微妙なバランスで積み上げられている。
二人きりで甘い時間を幾度となく過ごしたこの場所で、現在二人は勉強会を開いていた。
組織の役に立ちたいと言うアリスにブラッドが教師役を買って出たのである。

「もう一度だ」

「はい・・・」

意外にスパルタなブラッドの教え方にアリスは素直に従った。
厳しいが嫌な感じはない。
それはアリスの勉強にブラッドが真剣に取り組んでいるのが分かるからだ。
アリスはこっそりと微笑んだ。
面倒なことが嫌いなブラッドが自分のために面倒なことをしてくれるのが嬉しいのだ。

「何をニヤついている」

気づけばブラッドが不機嫌そうに見つめている。
彼は面白いことは好きだが、面白がられるのは好まない。
今も自分が笑われていると思ったのだろう。

「何でもないわ」

アリスは表情を戻して答えた。
ブラッドは厳しい表情のままアリスの髪をなで、そして一房だけを指に絡ませた。

「聡明なお嬢さんのことだ。分かっているだろうが、私は面倒なことは嫌いでね」

くるくると髪を弄ぶ。

「君が勉強をしたいと言うから付き合っているが、君がこの部屋に来たからにはもっと私のことだけを考えてほしいものだ」

ちゅっと髪の毛に口付けを落とす。

「私は勉強をしたいのよ」

アリスは迫ってくるブラッドを無視して再び書類に目を通していく。
じれたようにブラッドはアリスの顎を上向かせ、顔を近づけた。

「アリス、勉強ならもっと別なことを教えてやろう」

「・・・・っ!」

意図を察して顔を真っ赤にして押しのけようとしたその時、部屋のドアが大きくノックされた。

「おーい、ブラッドいるか?」

声もノックに劣らず、元気で大きな声だ。

「エリオット?」

「いい、無視しろ」

注意をそらしたアリスを無理やりこちらに向かせ、事を進めようとする。

「なー、いるんだろ。休みなのは分かってるんだけどさ。俺じゃどうしても分からない用件が出来ちまってよ。
頼むっ! ちょっとでいいから出てきてくんねぇか」

尚もノックを繰り返すエリオットにアリスの意識はそれたままだ。

「ねぇ、行ったほうがいいんじゃない。困ってるみたいだし」

「チッ」

ブラッドは舌打ちするとドアに近づき、閉めたまま扉の向こう側に話しかけた。

「エリオット」

「ブラッド! 実はさ・・・」

「エリオット、私は今取り込み中だ。用件は後にしろ。私は次の夜が来るまでこの部屋から一切出なっ」

断ろうとするブラッドを押しのけ、アリスが勢いよくドアを開けた。

「ごめんね、エリオット。こっちは全然取り組んでないから大丈夫よ。遠慮なく連れてってね」

そのままグイグイとブラッドを外へ押し出す。

「な、お嬢さん?」

「勉強なら1人でできるわ。ううん、むしろ一人がいい。出て行って」

「ここは私の部屋のはずだが」

「い・い・か・ら。あんたがいたら進むものも進まないわ。それじゃ、先生。またあとで」

にっこりと微笑んだままバタンとドアを閉められ、声もなくドアだけを見つめる。

「あー、俺もしかしてまずいところに来ちまったか? ごめんな」

エリオットが耳を垂らしながら、上司の機嫌を伺う。

「そうだな。少なくともその用件の相手とやらと殺そうと思うくらいにはまずいタイミングだ」

「あ〜、ははは。悪かった、ごめん。俺のにんじんコンポートやるから許してくれ!」

「いらん! 行くぞ」

こうしてご機嫌斜めのマフィアのボスとナンバー2はそろって部屋を後にした。


   *   *   *


残ったアリスは黙々と勉強を進めていた。
そして暫く経った後、ようやくペンを置き大きく伸びをする。

「うーん、終わったぁ」

久々に集中して勉強できた気がする。
程よい脳の疲れが心地よい。
ブラッドに教えてもらうのは確かに分かりやすいのだが、途中から全く関係ないことに熱中してしまうので少々困ることもある。

「ブラッドはまだ帰ってきてないのね」

あれからどれほど経ったのか。時計がないので分からない。
集中している間は分からないが、一人でいるとやけに部屋が広く感じた。

「早く帰ってくればいいのに」

思わず本音が漏れる。
締め出したのは自分なのに、何故か喪失感が襲ってきた。
自分の部屋に帰ってもいいのだが、誰もいない寂しい部屋に彼を一人残していけない気がする。

(待ってようとは思うんだけど、眠・・・)

ふわっと欠伸が出て、そのまま机に突っ伏してしまう。
せめてもの眠気覚ましと暇つぶしに、紙の端にカリカリと落書きを始めた。

『変な帽子』『紅茶おたく』『ご隠居』・・・

(あれ? 何でブラッドのことばっかり)

内容はともかく出てくるのはブラッドのことばかり。

(何で・・・?)

疑問に思いながらも、瞼が重くなっていく。
そのままゆっくりと夢という闇の中に落ちていく。


   *   *   *


「全く、あれくらいのことで私を呼ぶとは」

アリスが眠りに付いて少しあと、ようやく部屋の主が帰ってきた。
服に血のような赤いシミが付いているのは気のせいだろう。

「アリス。そろそろ勉強のほうもすんで・・・」

そこでアリスが寝ていることに気づく。
気づいた後は足音を出来るだけ少なくして、ゆっくりと近づいていった。

「寝てしまったのか」

長い髪が机に流れて、顔も隠している。
それをそっと払って、穏やかな寝顔をじっくりと眺めた。

「無防備、だな」

ふっと息が漏れる。
この部屋でいろんな思い出を残しておきながら、尚も安心して寝ていられる。
嬉しいが、何か気に入らない。
起こそうと手を伸ばした時、散らばった書類の中に見慣れない落書きを見つけた。

「何だ、これは」

見てみると、先ほどアリスが書いていた落書きだ。

『変な帽子』『紅茶おたく』『ご隠居』・・・

「・・・・。もしかしなくとも、これは私のことかな。君が普段私に対してどう思っているかよく分かったよ」

これはお仕置き決定かと思った時、腕に隠れたところにもう一つ落書きを見つける。
どうせ悪口だろうと思いながらも慎重に引き抜くと、落書きを読んだ。
そしてその表情が無意識に柔らかくなる。

「ん・・・、ブラッド?」

気配を感じたのかアリスが目を覚ました。
目をこすりながら、その存在を確認する。
ブラッドは素早く紙を折りたたんでそれをポケットに閉まった。

「おはよう、お嬢さん。よく、眠っていたようだね」

「あ、ごめん。起きて待っていようと思ったんだけど」

「いや、構わない。疲れたんだろう。もう少し寝ていなさい。何ならベッドを使ってもいい」

そういうとブラッドはアリスを立たせ、部屋の奥にあるベッドへ促す。

「怒ってないの?」

いつになく優しいブラッドにアリスが怪訝そうに顔をしかめる。
素直にベッドに行くことにすら戸惑いを感じてしまう。

「何故? 私はとても機嫌がいい。それとも、お嬢さんは何か別なことをお望みなのかな。
それならそれに答えてやらないこともないが」

「いいえ、結構よ」

そう言ってエスコートしようと差し出された手を跳ね除ける。
しかし、何か思い出したのか、すぐに机に戻っていく。

「何か、お探しかな」

「え! その、ここにあった紙知らないわよね」

ガサガサと書類と参考書の山を探しながらアリスは慎重に物を尋ねた。

「いや。何か重要なものだったのか」

「そうじゃないけど・・・」

「なら、構わないだろう。忘れてしまいなさい」

「でも」

「アリス」

ブラッドは探すことをあきらめないアリスを引き寄せた。

「言ったはずだ。私の部屋にいるときは私のことだけを考えてほしいと。
勉強が終わったのなら、私のことだけを見ていればいい」

そして、額に瞼に頬に口付けを落としていく。

「ブラ・・・ッド」

最後に唇に口付けて、やがてキスは深いものに変わっていく。
力をなくしたアリスを抱き上げてブラッドはベッドに足を向ける。

「私も大好きだよ。愛しいアリス」

耳元にそう囁いて、二人はベッドに崩れ落ちた。




ブラッドがこっそりと閉まった紙の端書。
そこに書かれたのはアリスの本音。

『変な帽子』『紅茶おたく』『ご隠居』・・・

そして、

『大好き』・・・



<Fin>



大っ変遅くなりました!
ブラアリというリクエストでしたが、こんなんでいかがでしょう。
エリオットも少し出ちゃいましたが。

葉月は授業中は落書きの時間だと思っています(←勉強しろ)
基本は絵を描いてますがアリスは絵を書かないと思いますので、こんな可愛い落書きをしていたらいいなと思って書いてみました。
『変な帽子』とかは一般的な乙女の皆様の本音かと。


それでは17000hitを踏んでくださった幸菜様に、葉月から心からの感謝と愛をこめて・・・。