欲しいのは・・・




「アリス」

振り返るとブラッドがいた。
相変わらずだるそうにのんびりとした口調だ。
私が歩みを止めると残りの距離を自分から縮めてくる。

「何か用事?」

仕事で何か不備でもあったのだろうかと思わず姿勢を正してしまう。
見習いとはいえ、これでもメイドの端くれなのだ。
自分の仕事には責任を持ちたい。
しかし、ブラッドの口からでた言葉は予想外のものだった。

「君のいた世界ではバレンタインというものがあるそうだな」

「? 確かにあるけど、よく知ってるわね」

この世界の時間は狂っている。
昼の次は夜だったり、普通に夕方だったり。
そんなだから季節という概念もない。
当然カレンダーもない。
なので、いきなりイベントの話をされても戸惑うしかなかった。
今が元の世界でいう2月14日とは思えないからだ。

「知識としては知っている。確か、女性が好きな男にチョコレートを送る日だと記憶しているが」

「どこかの国ではそんな習慣があるって聞いたわ。でも本来はそんな習慣はないの」

バレンタインデーは男女問わず異性に贈り物をする日だ。
それはチョコレートでもいいが、花やカードを送るねがのが一般的な考え方である。
ブラッドの間違った知識を指摘すると彼は少しがっかりしたように目を伏せた。
そんな彼を見て私はある考えに至った。

「ブラッド」

優しく名前を呼ぶ。
心の中では彼の胸の内を想像してニヤニヤしていた。

「もしかして、チョコレートが欲しいの?」

ブラッドは落ち着きたく視線を漂わす。
私は上目使いで視線を合わせた。

「私は、君の持っているチョコレートの行く先が気になっただけだ」

ブラッドは観念したように呟いた。
私の手には先程買ってきたチョコレートがある。
疲れていると無性に甘いものが食べたくなる。
深い意味を込めて買ったわけではない。
それをどう勘違いしたのかブラッドはバレンタインデーのプレゼントだと思ったらしい。

(ブラッドも疲れているのかしら)

私と一緒で甘いものが食べたくなったのかもしれない。

「あげてもいいけど、お茶菓子にはならないと思うわ」

ケーキやクッキーにしているならまだしもチョコレートそのものとなると茶菓子としては甘すぎる。

「私は別にチョコレートを茶菓子にしようというわけでは・・・」

要領を得ないブラッドを無視して私は包み紙を広げた。
廊下で広げるのはあまりお行儀がいいことではないが、家主は何も言わないのでそれを差し出した。 
ブラッドは呆れたように溜め息をつくと丸いチョコレートを一つつまみ上げる。
ブラッドの動作を一部始終見ていた私は指が彼の口ではなく私に向かっていることに気付かなかった。
気付いた時には唇にチョコレートが押し付けられていて、反射的にそれを口に含んでしまった。

「ん?」

口内に甘い味が広がる。
私が咀嚼するのをブラッドは笑いながら見つめている。

「私が欲しいのは・・・」

ブラッドの指が唇をなぞったかと思うと次の瞬間には彼の唇が押し付けられた。

「んん!?」

彼の舌と私の舌、そして甘いチョコレートが絡まる。
チョコレート味の甘い、キス。

「は・・・ぁっ」

最後に私の唇を舐めて長いキスが終わると、まるで美味しいものでも食べたかのように彼はペロリと舌を出した。

「何する、の」

悔しいことに足腰が立たない。
私はそのままへたりこんでしまう。

「ふむ。やはり茶菓子向きではないな。甘すぎる」

ぼやく口調とは裏腹に、ブラッドはどこか満足そうだ。
座り込んだ私から包みを取り上げると、自分の物のように小脇に抱え立ち去ろうとする。

「それ・・・」

「ホワイトデーのお返しは何がいいかな」

楽しそうに笑っている。
私は後ろ姿を黙って見送った。
結局、何がしたかったのだろう。
チョコレートが欲しかったのか、それとも別の何かが欲しかったのか。

(でも別の何かって?)

そんなことを考えながら、私は小首を傾げた。



<Fin>



バレンタインに便乗して、コメントを消化!
今回のコメントは「帽子屋とアリスの掛け合い」でした。
コメントしてくださった方ありがとうございました。
掛け合い・・・なってないか。
最近暗い感じのばかりだったので、甘い雰囲気のものはやはり書いていて楽しかったです。